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103系混色編成

29年度入学  宮ヤマ 

 

 101系をはじめとする国鉄新性能電車の登場以降、首都圏や関西圏を中心に、車両が路線ごとに定まった車体色を持つようになり、車体色の多様化が進んだ。車体色の多様性ゆえに、車両の転属などに伴って、異なる車体色を持つ車両が混在する混色編成が、見られるようになった。今年103日、ついに大阪環状線で103系が引退を迎えたことも記憶に新しいが、103系の運用も減る一方であり、すでに首都圏に103系を擁する路線はなく、混色編成を目にすることもほとんどなくなってしまった。この記事では、首都圏3路線で活躍していた103系の混色編成にスポットを当て、各路線における103系登場までの流れ、混色編成誕生の経緯について見ていこうと思う。

 

1.赤羽線

 赤羽線は、現行の路線図には明記されてはいないが、現在の埼京線の赤羽−板橋−池袋の区間にあたる路線である。東北本線支線(現在の埼京線赤羽―武蔵浦和―大宮の区間にあたる)の開業以前、赤羽線は池袋―赤羽間での運行であった。赤羽線の新性能化は昭和42(1967)から開始され、カナリアイエローの10186M2Tが充当されていた。その後、赤羽線103系化のため、山手線に新車40両が投入され、南武線101系化とも兼ねて、山手線から既存の1038連が赤羽線へ、赤羽線の101系が南武線へそれぞれ転出したのであった。転出した103系は、当初はウグイス色のまま運転されていたが、徐々にカナリアイエローへの塗り替えが行われた。

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(左)カナリアイエロー+ウグイスの混色編成。先頭車は冷房を搭載しているATC車であるが、中間車が非冷房車で電源が得られず、先頭車も冷房を使用できなかった。(十条1980.9.21

毛呂信昭著『103系物語』より引用。

(右)山手線より捻出のATC対応ウグイス色8連。(十条1983.10.9)毛呂信昭著『103系物語』より引用。

2.常磐線

 常磐線では、昭和41年(1966)頃より電車区間(上野―取手間)の混雑激化が問題視され、朝ラッシュ時には南千住・三河島通過、旧性能電車10両運転などの措置を取っており、複々線化も着工されたが、それでも複々線化の完成を待たずして、山手線、京浜東北線につぐ第三の103系投入線区となった。車体色にはエメラルドグリーンが設定され、昭和43年(19673月には11編成110両が投入された。さらに昭和45年には常磐緩行線と営団地下鉄(現在の東京メトロ)千代田線の相互直通運転用に貫通扉、難燃化などの要素を盛り込んだ1031000番台が落成し、翌年の開業に合わせ160両が投入された。車体色はグレーにエメラルドグリーンの帯であった。昭和59年(1984)には、奈良線・和歌山線の電化開業に伴って当時の105系の投入計画が大きく変わり、常磐緩行線の1031000番台を203系に置き換え、捻出した1031000番台を105系に改造、新電化区間及び可部線へと投入することとなった。同年3月までに1031000番台の56両が105系に改造され、中間車16両が快速線へ転用され、先頭車がエメラルドグリーン、中間車がグレーにエメラルドグリーン帯の混色編成が誕生した。

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(左)エメラルドグリーンと豊田・淀川より転属したオレンジバーミリオンによる常磐快速線10連混色編成(北柏 1984.4.14)。

(右)エメラルドグリーンの先頭車とグレーにエメラルドグリーン帯の中間電動車からなる1031000番台混色編成。(南柏―北小金 1985.8.27

他にも、宮原、日根野、淀川からの転属車により、エメラルドグリーン+カナリアイエロー+スカイブルー+オレンジバーミリオン4色からなる10連も見られた。

 

3.横浜線

 横浜線に103系が登場したのは昭和47年(1972)で、この時蒲田電車区に1034連が組成された。スカイブルー塗色であったため、京浜東北線との誤乗を防ぐ目的で大きな「横浜線」のヘッドマークをつけて運転された。2年後の昭和49年には山手線から10318両が投入され、横浜線はスカイブルーとウグイスの混在状態となった。また、ホーム長の関係により橋本―八王子間では4両編成での運転であったが、同年6月にホーム延伸工事が完成し、7両編成による運転が開始された。さらにこれに合わせて京浜東北線から10354両が転入、東神奈川電車区に103系が配置されることとなった。昭和54年(1979)には山手線から7両編成749両が転入、横浜線の新性能化が完了した。

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ウグイスとスカイブルーからなる横浜線混色編成。誤乗防止ヘッドマークを掲げての運転である。駅名改称に伴い、方向幕から「原町田」の「原」の字が消されている。(横浜―東神奈川1985.3.10

昭和61年(198611月のダイヤ改正で生まれた7両編成は、蒲田、浦和、松戸の各電車区の余剰車・予備車で構成され、森ノ宮からの中間車1両を加えてスカイブルー、エメラルドグリーン、オレンジバーミリオンの3色からなる混色編成であった。

 

4.まとめ

 ここまでいくつかの混色編成を紹介してきたが、その背景としては他線区の新性能化やATC化などのための転属が主であった。分割民営化ののち、現在の首都圏各線では多くの路線でE231系・E233系が運転されているが、101系・103系の登場をきっかけにラインカラーの概念が生まれ、現在ではすでに各線が独自のラインカラーや車体色を持ち、アイデンティティを確立している。塗装の変更も容易となった現在、首都圏のJR各線では混色編成の実現可能性は極めて低いといえよう。

 

5.参考文献 

 毛呂信昭著『103系物語』

『混色編成の記録』http://otorikk.gooside.com/konsyoku/konsyoku-index.htm


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