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JR九州の事例から見る国鉄イメージの払拭

平成28年度入学 理科一類 安タチ

 

1.概要

 19874月、旧国鉄は分割民営化された。この政策が成し遂げられた要因は非常に複雑であるが、その一つとして度重なる運賃値上げや労働争議の激化などに起因する国鉄に対する利用者のイメージ悪化が挙げられるだろう。そして、分割民営化後のJR各社は、国鉄の負のイメージを払拭するために様々な施策を行ったことはよく知られている。特にJR九州では、独自のカラーリングの導入や観光列車の運行など、多くの画期的な施策を行ったことで有名である。本稿では、その施策の例について、利用者の目線から網羅的に論ずる。

 

 

2.旧国鉄のイメージ悪化

 旧国鉄は、国が管理する鉄道関連の事業を全て請け負う非常に大きな組織であったが、様々な問題点を抱えていた。そのうち最も大きなものの一つが、数十兆円にのぼるとも言われた財政赤字だろう。赤字ローカル線の建設などを起因とする巨額の財政赤字は運営を圧迫し、昭和50年代からは物価上昇のスピードを上回るペースで運賃値上げが相次いだ。そして、いわゆる「国鉄離れ」と言われる現象が発生し、利用者の減少につながった。

 労働争議の過激化も大きな問題であっただろう。1970年代に頻発した順法闘争と呼ばれる実質的なストライキでは、鉄道の定時運行に深刻な影響を与え、国民の支持を失う原因となった。また、労使関係のバランスが崩れた職場環境では、利用者に対する従業員の態度の悪化が見られた。このような事例はメディアを通じて広く批判され、旧国鉄が利用者との信頼関係を失う原因となった。

 このように、利用者の旧国鉄に対するイメージは総じて良いものとは言えず、このような世論が分割民営化につながったと言えるだろう。

 

 

3.JR九州における旧国鉄のイメージの克服

 JR九州では、第2項で述べたような国鉄の負のイメージを解消するため、様々な施策を行った。本稿ではその事例を、車両・ダイヤの両面から具体的に解説する。

3.1 新型車両の投入

[1]783

 国鉄分割民営化が行われた1980年台は、九州各地で高速道路網の整備       が進められ、鉄道の脅威となり得ることが懸念されていた。783系は自家用車やバスに対する競争力の強化を目的に開発され、JRグループ初の新型特急車両として19883月に営業運転を開始した。

 オールステンレスに赤帯の特徴的なデザインを持つ車両としてデビューし、ほとんどが他路線のお古の485系であった当時の九州の特急電車に新風を吹き込んだ。運用面でも、高性能・短編成を生かした柔軟な運転で列車のスピードアップ・増発を行ったり、熊本駅止まりだった特急有明を熊本市中心部に近い水前寺駅まで延長したりする試みが行われ、利便性向上の向上が図られた。

 この後もJR九州では多くの個性的な特急車両を導入することになるが、本系列はその先駆けとなった車両と言えるだろう。

写真:みどり

783(JR九州HPより引用)

 

[2]キハ71系 ゆふいんの森

 キハ71系は、キハ58形およびキハ65形を改造してつくられた形式であるが、実質ほとんど新調された形式である。久大本線沿線の湯布院などの観光地と博多を結ぶ特急列車「ゆふいんの森」の専用列車として1989年に運行が開始された。曲線的デザインにメタリック塗装の外観は印象的であり、観光特急としての風格を十分に備えた車両としてデビューし、人気を集めた。特定の観光地への特急に専用車両を走らせるのは旧国鉄ではほとんど前例のなかったことであり、以後地域の実情に合った個性的な観光特急が生まれる先駆けとなったと言える。

ゆふいんの森(JR九州HPより引用)

[3]キハ200

 キハ200形気動車は、1991年に運用を開始したJR九州の一般形気動車である。筑豊や熊本などの多くの地域に配属され、それまで使用されていた国鉄の一般形気動車に代わってローカル線区の地域輸送を担っている。内装はロングシートから転換クロスシートまで多岐にわたり、路線、地域ごとの実情に合った配置がなされた。その後も2000年台後半まで増備が続いており、キハ40系列をはじめとする画一的な国鉄の一般形気動車に代わって快適な車内設備で輸送サービスの向上を図ることに成功したと言えるだろう。また、赤を基調とした特徴的なデザインは明るいイメージを喚起させ、従来の画一的なデザインからの脱却を図ることに成功したともいえるだろう。

 

28上原氏が撮影(大分駅、2013727)

 

3.2 ダイヤ改正

JR九州では、発足以来、都市部を中心に近郊列車のダイヤ改正が行われた。その内容は主に、

・普通列車の増発

・長距離列車の系統分離

・運行間隔の一定化

・快速列車の新設・増発

などである。このような近郊区間における地域輸送を重視したダイヤは、国鉄時代の長距離列車重視のダイヤから利便性の向上をもたらし、近郊列車に「タウンシャトル」の愛称がつけられた。現在でも、博多や小倉近辺の路線では上記のような特徴を持つ分かりやすいダイヤが設定されている。

 

 

4.おわりに

 本稿では、JR九州が国鉄イメージの払拭に向けてどのような経営努力をしてきたかについて具体的に述べたが、まとまりに欠ける文章となってしまったことはいなめない。今後は対象範囲を広げるとと共に、より詳細な研究を行っていきたい。

 今日のJRグループでは、国鉄分割民営化30周年を記念し、国鉄色をはじめとする旧国鉄時代のデザインを積極的に取り入れた列車を走らせるなどのイベントが企画されている。このような、本稿で述べた内容と真逆の潮流についての議論を深めることも興味深いと思う。今後も研究を重ね、成果があれば簡易線にて発表したいと思う。

 

 

5.参考文献

須田寛 『昭和の鉄道』 (交通新聞社新書 2011)

Wikipedia JR九州旅客鉄道」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E6%97%85%E5%AE%A2%E9%89%84%E9%81%93(2017.4.22閲覧)

JR九州公式HP 「JR九州の列車たち」

< http://www.jrkyushu.co.jp/trains/> (2017.4.22閲覧)

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