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平成30年五祭号目次に戻る

石北本線北見峠

29年度入学 宮ヤマ

1.石北本線について

石北本線は、北海道旭川市新旭川駅を起点として遠軽(えんがる)駅、北見駅を経由して網走駅に至るJR北海道の地方交通線である。路線名称はこの路線が結んでいる「石狩国」「北見国」からそれぞれ1文字ずつ取ったものである。輸送概況について触れておくと、まず旭川北見網走間の速達を担う特急列車は、「大雪」「オホーツク」の2種がそれぞれ2往復ずつ設定されている。次いで普通列車に関して、旭川上川の区間を運行する列車(遠軽方面へ直通する列車も含む)は、快速列車を含め上下線ともに10本程度設定されていて(上下線ともに1〜2本が当麻発着、1本が伊香牛発着)、おおよそ1〜2時間間隔で運行されている。北見峠を越える上川遠軽間は沿線人口が希薄な地帯となり、この区間を走る普通列車は上下線ともに一日あたり3本、うち1本は峠越えにはあたらない白滝遠軽間の列車である。遠軽北見間には次なる難所、常紋峠がある。常紋峠を越える普通列車は北見峠のそれよりもやや多く一日5本が設定されている。北見網走間には先ほどの常紋峠を越える列車を含め上下線ともに10本の普通列車が設定されており、一部列車は釧網本線に直通する。この他には、北見留辺蘂間の輸送を担う列車、北見近郊の東相内駅までを結ぶ列車、遠軽とそこから10km離れた農村生田原までを結ぶ列車が設定されている。

旭川駅にて発車を待つキハ54形特別快速きたみ号。北見峠を越える数少ない普通列車の一つである。(2018.3.10)

旅客列車の他に、砂糖・玉ねぎ・ジャガイモなど沿線の農産物を運ぶ貨物列車が北見北旭川(宗谷本線)間で運行されている。この列車は途中遠軽・新旭川の2箇所で方向転換を行わなければいけないため、機関車付け替えによるタイムロスをなくす目的で、列車の両端に機関車を配置するプッシュプル方式を取り入れている。

石北本線は当初より「石北本線」として敷設されたわけではなく、既存の数路線を統合して生まれた路線である。北見網走間は国鉄池北線の前身であった網走本線(池田札弦(現釧網本線))の一部にあたる。遠軽北見間は野付牛駅(北見駅の旧称)から遠軽を経て湧別に至る湧別線の一部である。このルートが完成した当時は、北見・網走と旭川・札幌との間の鉄道輸送は遠軽から北方に迂回、名寄本線(廃)・宗谷本線を経由し旭川から函館本線に入るルートで行われていた。旭川遠軽間は、1920年代に北見峠を超える短絡路・石北線の開通を目指して旭川・遠軽からそれぞれ石北西線・石北東線が開業し、1932年に中越(現・信)白滝間が開通して完成した。石北線の全通に伴い、新旭川野付牛間が石北線と改称され、1961年には北見網走間を編入し、現在の石北本線となった。このような経緯から、遠軽駅は先に開業した湧別線に南西から石北線が合流する構造になっており、これが遠軽駅で方向転換を行わねばならない所以である。

()遠軽駅ホームから湧別方を望む(2018.3.11)

()遠軽駅発車案内板。この写真では見にくいが、3段目には当駅発の名寄本線用である

「紋別・名寄方面」の文字が記されている。(2018.3.11)

 

 

以降、石北本線が跨ぐ難所の一つ、北見峠に焦点を当てていく。

2.北見峠

  北見峠は上川町と白滝村の境にある峠で、標高は857mである。

 北見峠を越える交通の端緒は、1891年、北海道開拓の只中に敷設された中央道路である。この道路は、北方の防備・開拓の為の重要な交通として敷設が急がれ、計画では約160kmに及ぶ長大な区間を8ヶ月で完成させる突貫工事で、人力での工事であったため網走監獄の囚人約1100名および職員約200名がその労働力として充てられた。結果1年間で160kmの開通を成し遂げたが過酷な労働環境ゆえに犠牲者が相次ぎ、北見市端野町緋牛内には犠牲者を慰霊する鎖塚供養碑が建てられている。中央道路のルートは現在の国道333号によって踏襲されている。

 現在北見峠を通る交通は、上述の国道333号の他に、旭川紋別自動車道北大雪トンネル、石北本線石北トンネルの3つである。

 以下、石北本線の北見峠越えにあたる上川白滝間について詳しくみていく。

 2016年の上白滝・旧白滝・下白滝の「白滝カルテット」のうちの3駅の廃止は記憶に新しいが、開通当初、上川白滝間には天幕・中越(なかこし)・上越(かみこし)・奥白滝・上白滝の5駅が設置されていた。この5駅のうち、中越・上越・奥白滝の3駅は信号場として存続している。

 天幕という地名は、石北本線敷設に向けて調査を行っていた土木技術者、田辺朔郎(後に琵琶湖疏水を設計)が当時の天幕付近の留辺志部(るべしべ)河畔を訪れた際寝食の面倒を見てくれた男(天幕次三郎)の姓に由来するとされている。かつて天幕駅付近には天竜鉱山と精錬所があり、付近には黄鉄鉱が分布しているが、坑道が崩落しており当時の詳細な状況までは分からないようである。とはいえ天幕駅付近は鉱山の恩恵もあってかある程度定住が進んでいたようで、神社や小学校なども建設されていた。1940年の天竜鉱山および精錬所の閉鎖を皮切りに付近は衰退の一途を辿り、2001年ついに天幕駅は廃止された。現在、駅周囲は無人地帯となっており、駅・神社・小学校跡地には記念碑が設置されている。

 中越・上越の2駅はそれぞれ2001年、1975年に廃止されている。両駅ともに廃止後の駅舎は保線作業員のための詰所となっており、保線作業員が上川白滝間の普通列車を利用して詰所に行き来している。2駅ともに駅周囲は無人地帯となっており、道路と川と森のみである。

石北本線中越上越より。本当に道路と川と森しかない。上の道路は旭川紋別自動車道、

川は留辺志部川、右側の道路は国道273号である。おそらく浮島IC付近。(2018.3.11)

  奥白滝駅も2001年に廃止となり信号場に降格となった。全盛期には駅周囲に民家が立ち並び貨物の取り扱いもあったが、現在となっては上述の3駅と同じく駅付近は無人の野と化しており旧駅舎が詰め所として残るのみである。

3.終わりに

写真の日付からも読み取れるかもしれないが、筆者は今年3月上旬に北海道&東日本パスを用いて旭川から石北本線で遠軽・網走を訪れている。当記事からもわかるように、石北本線は散在するかつての開拓地をつないでおり、冬から春にかけてはディーゼル気動車で雪原をゆく旅情ある路線である。読者の皆様が当記事をきっかけに石北本線に興味を持っていただけたなら幸いである。

4.参考文献

JR小型全国時刻表3月号』 (交通新聞社)

「えんがるストーリー 天幕三次郎とカクレ沢」

http://story.engaru.jp/story/天幕三次郎とカクレ沢/  (201846日閲覧)

5万分の1地質図幅説明書 『上川』」

https://www.hro.or.jp/list/environmental/research/gsh/publication/map/map04/area/explanation_leaflet_pdf/abashiri32.pdf  (201846日閲覧)

「歴史民族資料館:中央道路と鎖塚」

http://www.city.kitami.lg.jp/docs/7135/ (201845日閲覧)

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