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鉄道道としての鉄道マニア

29年度入学 水カツ

 

鉄と道

昨年、「聖地とツーリズム」というテーマの宗教学の講義で、『ガールズアンドパンツァー』(以下、ガルパン)が紹介された。ガルパンについては説明不要だと思うが、簡単に触れておこう。公式ページの「ストーリー」中「イントロ」には以下のようにある。

 

戦車道は乙女のたしなみ!

戦車を使った武道「戦車道」が華道や茶道と

並んで大和撫子のたしなみとされている世界。

県立大洗女子学園に転校生・西住みほがやってきた。

戦車道が嫌いで、戦車道のない大洗女子を選んだみほ。

ところが転校そうそう、生徒会長に呼び出され、

必修選択科目で戦車道を選択し、

戦車道全国大会に出場するよう強要される。

しかも、集まったメンバーは個性派ばかり。

華道家元の娘の五十鈴 華、恋に恋する武部沙織、

戦車マニアの秋山優花里、朝に弱い優等生の冷泉麻子

友達とのフツーの女子高生活を夢見るみほの、

ささやかな願いは叶うのか

おもちゃ, レゴ, 座る, テーブル が含まれている画像

自動的に生成された説明

 

大洗にある県立女子高校の生徒が戦車道なるスポーツ(?)で奮闘するアニメーションという雑なまとめ方ができるだろう。宗教学の講義で「聖地」と絡めて取り上げられた理由は、アニメの舞台である茨城県大洗町が、ガルパンファンの間で聖地化され、大勢のファンが詰めかけているのみならず、自治体の協力のもと、町おこしに一役買っているからである。熱心な男性ファンは他県から大洗町に移住し、県立大洗女子高校の制服を着て、ファン相手の焼き鳥屋で、焼き鳥を焼きながら生活しているというエピソードも紹介されていた。彼にとって聖地で生活することが至福なのである。そこまで人々をひきつけるガルパンとは何か……という議論は散々されているだろうから、ここではしない。

私が驚いたのは、女子高生が、女子高生とは普通無縁な戦車を繰るという意外性である。しかも、その活動に「道」がついている。テニス、バレーボールのような競技名にとどまらない「戦車道」というネーミングである。華道、茶道、柔道、剣道、空手道など、「道」がつくものは多々ある。華道、茶道、剣道は道具を使うが、それは人が十分扱える大きさであり、その所作をサポートする程度のものである。道具が主体というよりは人間の行為が主体となる。しかし、戦車道となると、道具は人間より遥かに大きく、重量も相当で、戦車を使いこなすというよりは乗りこなすものである。乗り物で言えば、たとえばレーシングカーが似ているだろうが、レーシングを「車道」とは言わない。車道とはようするにいわゆる道路であり、混同するだけである。

道というネーミングセンスと女子高生に戦車を操らせる意外性に、私は鉄道を思い浮かべた。鉄道は鉄道事業者が運転操作するもので、女子高生が乗り回すものではない。しかし、鉄道車両という大きな車体あるいは線路、駅など巨大な施設を愛好することは、戦車道の女子高生たちの活動と共通するものがあるのではないか、と思ったのである。

鉄道好きは鉄道マニア、鉄ヲタと称される。ヲタのほうがマニアより現代的で、今はヲタが使われる。ヲタはオタクの略であり、鉄道愛好家はオタクが前提なのである。そこに異議を唱えるつもりはない。オタクは素晴らしい性質だと思うからである。しかし、ガルパンに触発された今、鉄道を愛好することがヲタ括りではなく、「鉄道道」として認識されるのは可能かどうか、少し考えてみたい。

 

道とは

ヲタが道になる場合、そこに何が求められるのであろうか?普通、「道」ときいて連想するのは精神性である。ガルパンの戦車道における精神性は、チームワーク、スポーツマンシップや登場人物の個人的問題の解決などであろう。鉄道愛好家における精神性とはなんだろうか?

鉄ヲタの精神性が話題になったことがあった。20201月のE231系の山手線からの引退である。当初引退は1月末であったが、鉄ヲタの迷惑行為が問題となり、安全な運行を優先する考えから、引退が120日に早められたのである。ヲタが集まってしまうと問題が起こりうるので、当然JR東日本からの公式発表はなかった。このE231系の山手線引退に限らず、鉄ヲタの迷惑行為はニュースになっていた。

SNSが普及して迷惑行為の指摘がしやすくなったのもあるだろうが、かつてはこのように鉄ヲタ=迷惑行為でくくられることはなかったように思う。鉄ヲタの迷惑行為は断じて許されるものではない。しかし、鉄ヲタに倫理観という精神性が求められている今、鉄ヲタが「鉄道道」に生まれ変わるチャンスかもしれない。

 

鉄ヲタの世界

鉄ヲタにはどんな種類があるのだろうか。代表的なものをあげてみよう。『鉄道マニアの世界 総集編』ラジオライフ編,2012年~2015年によると以下のようになる。

・撮り鉄

・乗鉄

・スマホ乗鉄

・蒐集鉄

・模型鉄

・聞き鉄

・ラジオ鉄

・秘境駅鉄

・廃線鉄

昨今のモラルが求められそうなのは、撮り鉄、乗鉄、秘境駅鉄、廃線鉄であろう。

大切なのは、ジャンルに限らず、鉄道愛好家はどんな形であれ、鉄道が好きだということである。そして鉄道とは大きな車両を高速で運用する巨大な構造物である。構造物を愛好する以上、そこにモラル的なルールが求められるのは必然である。たとえば、鉄道愛好家協会という組織があって、活動を統一的に管理するためのルール作りを行うということが思い浮かぶが、これは現実的ではないだろう。そんなことをしては、活動の自由が奪われる可能性がある。鉄ヲタを鉄道道に昇華するにはどうすればよいのだろうか。

『宗教学事典』の「道」の項をひいてみると、「道」については次のようにまとめられる。「複数性、多元性と宇宙・人間の究極的な真理、境地に接続しているという普遍性。身体性・実践性。「宗教」とは異質。」道とは人間と真理を結ぶ普遍性にいたる通路であり、そもそもひとつのものを求めるというよりは、この世の多様性を認めることなのである。そして、その精神は形而上学的なのでは決してなく、身体性と実践性が主体となる。つまり、まとまりのつかない鉄ヲタの現状は決して間違ってはいない。そして、各ジャンルの鉄ヲタの活動は、巨大構造物を相手にしている以上、身体的であり実践的である。鉄ヲタには本質的、潜在的に「道」に至る素質が充溢していると言えるのである。

 

鉄ヲタと道

では、どうすれば「鉄道道」は成立するだろうか? 私の一案だが、「鉄道道」成立のために各人ができることは、自分の活動の真理とは何かを考え、表現することではないかと思うのである。真理とは大げさで趣味の世界に似つかわしくないと言われるかもしれない。楽しければそれでよい、という意見もあろう。しかし、自分の楽しみを満喫する趣味の領域を超えて、自分が楽しいのはなぜなのか? 自分が楽しんでいる原因は何か? と考えてみることは、趣味の範囲を広げる上でも有効かもしれない。そうして、各人が鉄ヲタ活動と真理への道を自覚し、表現することで、単なるお楽しみであった鉄ヲタ活動に「道」としての性格が備わってくるのではないだろうか。インターネット上のSNSで自らの鉄ヲタ活動を報告するコンテンツは膨大な数が存在する。しかし、それらは受け手に負担にならないように楽しい部分だけを簡潔にまとめている場合が多い。それに異論はない。しかし、コンテンツの一部でよいので、「道」的本音を吐露してもよいのではないだろうか。そこには他人からは想像もつかない真理が込められているに違いない。そうした良い意味で受け手を裏切る言葉が発せられることで、鉄ヲタに対する世間の見方も変わってくる可能性がある。

 

私の鉄道道

私は模型鉄である。鉄道模型を走らせている時が至福の時間である。では、私は鉄道模型を走らせている時になぜ楽しいのだろうか? その原因は、鉄道模型のミニチュア性にあると考えている。巨大な鉄道車両を20センチメートル弱に縮小し、精巧に似せて作られている模型車両。本物の車両を自宅で保管し、好きな時に走らせることはできない。しかし、模型は好きな車両を手中に収められる。所有欲を満たす。模型を走行させるためにジオラマをつくれば、鉄道が走る世界を手中に収めることができる。つまり、鉄道模型は小宇宙を私に所有させてくれるのである。現実世界では私は小さく無力な存在にすぎない。世界は私の意のままになるどころか、小さな意志さえも働かせられない果てしない時空である。しかし、鉄道模型の走行する小宇宙は、私が所有し、私が意のままにできる世界である。こう書くと私が独裁者傾向のある危険人物に思われるかもしれないが、これは危険人物ではなくとも持っている普遍的な願望ではないだろうか。小宇宙を楽しむ感覚が、厳しい現実社会での困難を乗り越える糧になるのである。鉄道道の模型鉄は、大宇宙において無力な人間が小宇宙で幸福を求める真理的心理に通じる道を求めると言える。

鉄ヲタだれもが真理の道を知っている。これを合言葉に、「鉄道道」を歩みながら、自らの思いを表現することが求められる。私見だから取るに足らないと考える必要はない。私見だからこそ、重要である。多様な真理への道が集合することに意義がある。その表現を蓄積する統一的な組織が必要とされるだろう。「鉄道道」が鉄ヲタの活動をひいては鉄道界を豊かにすることを祈念したい。


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