東京京都間 三つの街道と鉄道
令和2年度入学 崎サホ
1. はじめに
江戸時代の五街道のうち、東京と京都を結ぶ街道は東海道、中山道、甲州道中の3つがあった。そして明治以降、東京と京都を結ぶ鉄道が建設された。それらの街道と鉄道の経路を比較する。なお本稿では地名を、駅名を基準として表記する。
2. 街道と鉄道の経路比較
(1)東海道
東海道は今も昔も第一級の幹線であるため、ルートは異なれど「東海道」の名を冠した東京大阪を結ぶ路線が在来線、新幹線ともに存在する。東海道において街道と鉄道ルートが大きく異なっている箇所は、現在の東海道線の駅名で表すと、国府津〜沼津の山越え区間と神宮前〜草津、大津〜大阪である。
国府津〜沼津では、街道は険しい箱根越えルートをとる。鉄道はまず御殿場周りルートが建設され、その後に丹那山地をトンネルで抜けるルートとなった。新幹線も丹那ルートである。
神宮前〜草津では街道と鉄道でより大きく異なる。街道は熱田神宮近くの港(この時代は海岸線が今より内陸にあった)から船で桑名まで渡り、桑名から関までは現在の関西本線と同じルートをとった。関からは関西本線ルートを離れて現在の国道1号のルートで鈴鹿峠を越えて甲賀に達し、そこからは草津線と同じルートで草津へ至る。ちなみに関から先で関西本線は加太峠を越えて拓殖へ、拓殖から草津線が分岐している。鉄道は険しい鈴鹿峠を避け、琵琶湖・北陸筋への便の良い関ヶ原周りルートが在来線・新幹線ともに用いられている。岐阜からは中山道のルートを用いている。
街道は大津で京都へ向かう道と大阪へ向かう道に分かれる。大阪方面へは伏見付近から現在の京阪本線のルートで大阪城へ至る。鉄道は京都から淀川の北側を通り大阪駅へ至る。
実は豊橋〜岡崎でも、街道と東海道線・東海道新幹線のルートは異なっている。しかしこの区間では街道ルートを名鉄名古屋本線が通っている。
(2)中山道
中山道は東海道と並ぶ、東西の都を結ぶ街道だった。しかし現在東名阪の大都市間輸送の地位は東海道線が果たしているため、中山道ルートの鉄道は都市間輸送に適した形に区切られている。そのため中山道ルートに存在する鉄道路線を順に紹介していく方法をとる。
まず、東京〜高崎間は高崎線・上越新幹線が中山道沿いを通っている。高崎から信濃追分には信越本線がある。このうち横川〜軽井沢は北陸新幹線の開通により廃止されている。北陸新幹線は北側の山中を通っている。
信濃追分から先、信越本線は日本海へ抜ける北国街道沿いに続いていく。追分から先佐久平付近までは、北陸新幹線が中山道に並行する。佐久平から先、和田峠を越えて下諏訪に至るまでは中山道沿いに鉄道は通っていない。
下諏訪から中津川までは中央本線が通っている。しかし塩尻駅を境に運行系統が分かれてしまっている。中津川から先中山道は太田へ続くが、中央西線は中津川から先名古屋へ向かう。中津川〜太田間に鉄道は通っていない。太田から岐阜は高山本線、岐阜から草津では東海道線・東海道新幹線が並行する。草津で東海道と中山道が合流、東海道線と草津線も合流する。
(3)甲州道中
甲州道中は甲斐・信州と江戸を結ぶのが主な役割だった。中央東線も同様の役割を果たしており、東京から下諏訪までほぼ全て甲州道中に沿っている。新宿〜日野で街道から少し北へ離れている程度か。
3. 街道同士の比較
東海道、甲州道中とその沿道の鉄道では、その役割が変わっていないため、鉄道の路線・運行形態も街道に沿ったところが多い。一方で中山道は、その地位を継ぐ鉄道の必要度が低かったため、沿道に鉄道は多くあるが運行形態は街道と沿わない事が多いようだ。
4. 参考文献
浅井建爾『道と路が分かる事典』(日本実業出版社・2001)
楠戸義昭『探訪 日本の歴史街道』(三修社・2003)
八木牧夫『五街道ウォークのすすめ』(山と渓谷社・2018)
『国土交通省 道の歴史』https://www.mlit.go.jp/road/michi-re/index.htm (2020年10月5日閲覧)