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アルプスを越える鉄道

平成31年度入学 千ラシ

 

1. アルプス越えの歴史(近代以前)

 アルプス山脈は「ヨーロッパの屋根」と呼ばれ、ヨーロッパを南北に分断する壁であり続けてきた。これは地理的に限ったことではなく、政治・文化においても「相互移動の難しさ」という障害により南北で大きな違いがみられる。その中でも、南北に跨る帝国を建設したローマ帝国、神聖ローマ帝国などでは、アルプスを越える交通路の建設が進められた。以下がその主要な峠である。

 

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1. アルプスの主要な峠

 

 これらの峠は古代から人の通行がみられたが、道が本格的に整備されたのは中世の神聖ローマ帝国時代とみられる。歴史上の有名人も多くこれらの峠を越えている。モーツァルトは幼少期にブレンナー峠を越えてイタリアへ向かった。グラン・サンベルナール峠はハンニバルが象とともに越えてローマを攻撃した伝説があるほか、カエサルのガリア遠征、カール大帝やナポレオンのアルプス越えとしても有名なルートである。13世紀にザンクト・ゴットハルト峠が開通すると、この交通路で利益を上げたウーリ・シュヴィーツ・ウンターヴァルデンの3州が力をつけ、神聖ローマ軍を破ってスイスを建国した。

 しかし、急峻な山脈を越える狭く険しい道は大規模なモノ・ヒトの輸送には不向きであり、また半年間は雪に閉ざされており移動は実に困難だった。

 

2. アルプスを越える鉄道

 産業革命後の人口増加に伴って人や物資の輸送の需要は増大し、18世紀末には峠を馬車が通行できるように改修工事が行われた。さらに鉄道が発明されてヨーロッパ各国でその輸送力が証明されると、アルプスの各国も山脈を越える鉄道の建設を計画した。ここからは、中でも有名なアルプス越えの鉄道を紹介する。

1)ゼメリンク鉄道 Semmeringbahn

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(左)図2. ゼメリンク鉄道ルート(Public Domain / Wikimedia Commons

(右)図3. ゼメリンク鉄道

 

 1854年開通。山岳鉄道の中では初めて国際標準軌間を採用し、初めてのアルプス越えの鉄道とされている。中世以来「ゼメリンク道路」としてウィーンと北イタリア・アドリア海を結ぶ交通の要衝であったゼメリング峠に建設され、全長41.825km、最大高低差460mの軌道の建設には6年を要した。軌道上には14のトンネル、100以上の橋が用いられている。オーストリア帝国時代に建設されたこの鉄道は首都ウィーンと重要な港・トリエステを結ぶ政治的・経済的・軍事的に重要な交通路となった。開通から160年以上経った現在でもウィーンとオーストリア南部、イタリア北部を結ぶ列車が通る。また現代では、峠を貫通するゼメリンク・ベーストンネルの建設も進められている。

 建設工事に際しては「自然と技術の調和」が図られ、素晴らしい車窓の風景と高原リゾートは、山岳リゾートの先駆けになった。1998年には世界文化遺産に指定された。

 

2モン・スニ鉄道 Chemin de fer du Mont-Cenis

4. モン・スニ峠

 

 1868年開通・1871年廃止。全長77km、最高地点の標高は2052m。建設の目的は、フランス南東部とイタリア北西部の国境を貫通するフレジュス鉄道トンネルの建設中の「つなぎ」であった。フレジュス鉄道トンネルは、イギリスと英領インドを結ぶ郵便ルート(通称:オールレッドルート)の時間短縮のため、1857年に建設が開始された。しかし、当時の技術では建設に長期間を要すると想定されたため、峠を越えるモン・スニ鉄道が建設された。営業は洪水や豪雪で何度も中断しながらも、イギリス―インド間は約30時間短縮された。

 このモン・スニ鉄道で初めて実用化されたのがフェル式鉄道である。モン・スニ鉄道は最大90‰の勾配を有しており、通常の粘着式ではこの勾配を克服できなかった。そこでイギリス人技師フェルは、2本のレールの間にもう1本レールを敷き、これを左右から車輪で挟むことで脱落を防止するフェル式を開発した。フェル式鉄道はこの路線でその価値が認められ、イギリスやニュージーランドでも建設されたが、そのほとんどは現存せず、唯一現存するのはイギリス・マン島にあるスネーフェル鉄道のみになっている。

 結局、1871年にはフレジュス鉄道トンネル(全長12.2km)が開通してしまった。「モン・スニ」の名は、現在ではフレジュス鉄道トンネルの別称となっているほか、かつてリヨン―ミラノを結んでいた国際列車に受け継がれた。モン・スニ鉄道はわずか3年間しか運行されず、多額の赤字を出して廃止された幻の鉄道となってしまったが、初めてアルプスの高所を鉄道で越え、鉄道の新たな技術開発のきっかけになったという点でとても意義深い。

 

3)スイス=アルプスの鉄道トンネル

5. スイス=アルプスの主な鉄道トンネル

 

スイスでは19世紀後半以降、アルプス山脈を貫通するトンネルが盛んに建設された。スイス初の長距離トンネルは、1882年に開通したゴットハルトトンネル(全長15km)であった。工事は10年を費やし、何度も洪水や疫病に見舞われ、死者200人以上を出す大変困難なものだった。トンネルは標高約1100mの高所に位置しているため、たどり着くまでに鉄橋やループ線を何度も使用した。このトンネルの完成によって、スイス北部とイタリアが結ばれることになった。

 

 スイス西部は、イタリアとの接続を望んでおり、ジンプロン峠を貫通するトンネルを求めていた。1905年にはシンプロントンネル(全長19km・当時最長)が貫通し、1906年に運転が開始された。このトンネルによりジュネーブ―ミラノが短縮されたばかりでなく、パリ―ミラノの国際列車や、ロンドン―コンスタンティノープルを結ぶシンプロン=オリエント急行もここを通過した。

 

 ゴットハルトトンネルの建設後、首都を擁するスイス中央部のベルン州は南側を山脈に阻まれ、スイスの南北を結ぶルートから孤立してしまった。ベルン州は打開策を模索した後、1911年にはスイス中央部のシュピーツと南部のヴィスプを結ぶレッチュベルクトンネル(全長13km)が開通した。ルート上には合計33ものトンネルが掘られた。このレッチュベルク・シンプロン新機軸の完成により、スイス・アルプスを経由してイタリアへ至る大幅な短縮ルートが可能となった。

 

6. レッチュベルクトンネルで半世紀活躍するBLS Re44形電気機関車

Limmattal操車場 2019.7.4) 三好正太撮影

 

 以上が第二次大戦前に建設された主なトンネルである。しかし大戦後、鉄道は高速化し、トンネルを通過する貨物も急増した。しかし、従来のトンネルでは、急勾配や急カーブのために十分なスピードが出せなかった。また、自動車の普及によりアルプス越えの道路やトンネルも渋滞、また環境問題も提起された。そこで鉄道輸送の効率化によりモーダルシフトを図りたい政府は、アルプスを縦断する新高速鉄道トンネルの建設を計画した。

7. アルプトランジット計画

 

アルプトランジット計画では、ゴットハルトルート(東)とレッチュベルクルート(西)の2本の軸でアルプス山脈を南北に縦断する鉄道を通す。ここで、前記の課題を克服するための計画が、ベーストンネルである。ベーストンネル(Basistunnel)とは、従来のトンネルより低い位置に、より長いトンネルを通すことにより、線路が平坦化され列車が高速で通過できるようにするものである。初のベーストンネルは、スイス北西部のハウエンシュタイントンネル(全長8km)が1916年に開通している。

 ゴットハルトルートは、ツィンメルベルク・ゴットハルト・チェネリの3本の主要なベーストンネルにより北部のチューリヒ―ベリンツォーナ―ルガーノ―ミラノを結ぶ。このルートの基幹をなすゴットハルトベーストンネルは、計画から約半世紀、建設開始から20年の歳月を要し2016年に開通、全長57kmで青函トンネル(全長54km)を抜いて世界一になった。スイスの南北最大長220kmのなんと1/4以上を誇る。高速走行試験では最高速度275km/hに達し、トンネル建設前後で、所要時間(Arth-GoldauBelinzona)は40分短縮された。また、南端のチェネリベーストンネル(全長15km)は来年開通予定であり、開通後にはチューリヒ―ミラノの所要時間は合計1時間短縮される。

 レッチュベルクルートは、レッチュベルクベーストンネル(2007年開通・全長35km)とシンプロントンネルから構成され、バーゼル―オルテン―ベルン―ブリーク―ドモドッソーラ―ミラノを結ぶ。レッチュベルクベーストンネルは従来のレッチュベルクトンネルより400m下を通っている。このトンネルによって、シュピーツ―ブリーク間は26分短縮された。尚、シンプロントンネルは1906年に開通したものが現役で使用されている。

 

8. スイスとイタリアを結ぶSBB ETR 610≪Astro≫Brig2013.8.22)・筆者撮影

 

9. MilanoGenevé Eurocity車内路線図

Eurocity車内 Domodossola-Brig 2013.8.22)・筆者撮影

4)レーティッシュ鉄道(Rhätische Bahn

 レーティッシュ鉄道は、19世紀末~20世紀初にかけてスイス南東部のグラウビュンデン州に建設された鉄道である。クール、サンモリッツといった山岳リゾートを結び、イタリアのティラーノに到る。

その中でも、アルブラ線の一部(トゥジス―サンモリッツ間)とベルニナ線(サンモリッツ―ティラーノ間)は2008年に世界文化遺産に登録された。これらはそれぞれ標高2000m級のアルブラ峠とベルニナ峠を越える路線で、ベルニナ線の最急勾配は70‰にも達するが、ラック式を用いず、通常の粘着式で走行するのが大きな特徴である。このため、大規模なループ線やヘアピンカーブ(最急曲線半径45m)を用いるほか、小回りを利かせるために軌間は1000mmのメートルゲージが使われている。このような努力のお陰で、急な山岳地帯を通るがゆえの美しい景観も生まれており、観光列車が多数運行されるほか、ビューポイントでは列車は徐行または一時停止してくれる。

 なお、日本の箱根登山鉄道はベルニナ線を参考にして建設されており、箱根登山鉄道とレーティッシュ鉄道は姉妹鉄道である。現在、箱根登山鉄道の1000形「ベルニナ号」、2000形「サンモリッツ号」、3000形・3100形「アレグラ号」(グラウビュンデン州の公用語・ロマンシュ語のあいさつ)などレーティッシュ鉄道ゆかりの名称が使われている。また反対に、レーティッシュ鉄道で1990年に建造されたAbe4/4-54形電車にはHakoneの名が付けられた。車体側面に漢字で「箱根登山電車」と書かれている機関車もある。

 

 

10/11. レーティッシュ鉄道も通過する観光列車・氷河急行(Zermatt2016.12.31)・筆者撮影

 

12. アルプスを越える貨物列車(Wynigen-Burgdorf2019.6.30)・三好正太撮影

 

3. 参考文献

Rhätische Bahn

https://www.rhb.ch (20191002日閲覧)

Alptransit

 https://www.alptransit.ch 20190930日閲覧)

Alptransit Portal

 https://www.alptransit-portal.ch (20191001日閲覧)

Die Semmeringbahn

 http://www.semmeringbahn.at/ (20190927日閲覧)

www.AlpenTunnel.de

 http://www.alpentunnel.de (20191009日閲覧)

TICINO

 https://www.ticino.ch (20191009日閲覧)

SBB CFF FFS

 https://www.sbb.ch (20191009日閲覧)

BLS

 https://www.bls.ch (20191009日閲覧)

写真・図は特記以外全て筆者が撮影、作成した。


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