JR車両第一世代の歩み
平成27年度入学 八コヤ
1. はじめに
国鉄の分割民営化で最も顕在的に変わったものとして車両面の変化が挙げられる。技術やデザインなど様々な面でそれまでになかったものを取り入れ、鉄道ファン以外からも人気を博した車両や、鉄道のイメージを塗り替えた車両がJR発足から数年の間に次々に登場した。
それから30年が経ち、それらの車両をとりまく環境も大きく変化してきた。JR型車両が国鉄型車両を置き換えたという歴史もより新しいJR型車両によって以前のJR型車両が置き換えられるという形で繰り返される例が出てきた。本稿ではJRの第一世代にあたる車両を紹介し、それらの車両の変遷と今について述べたい。
なお、『鉄道ファン』2012年1月号では発足から5年間を第一世代と定義しているが、ここではそれからさらに時間が経過したことも踏まえJR発足から7年以内の車両を対象としたい。これは、JR東日本が新形式車両に「E」を使い始めたのが7年目である1993年度であり、それが定着するくらいまでの車両を対象としたいからである。営業用とする見込みのない非営業用車両は除いた。また、貨車については私有貨車など扱いが特殊なものも多く資料が少ないため割愛した。さらに車両を3種類のカテゴリに分けた。
・現在も第一線で活躍するもの(第一投入線区や初期の主たる運用線区で、現在も運用を維持していることが条件)
・転属などにより新たな役割を得たもの(上記以外で現役であることが条件)
・営業運転を終えたもの
2. 現在も第一線で活躍するもの
2. 1. 特急型電車
2. 1. 1. 251系(東日本)
伊豆への観光輸送に特化した車両として1990年4月に「スーパービュー踊り子」で営業運転を開始した。それまでの伊豆特急は185系「踊り子」であり、185系は国鉄末期にむしろ汎用車両、つまり特急から普通まで使える車両[1]として製造されているので、正反対のコンセプトで製造されたことがわかる。
10両編成中3両(1・2・10号車)がダブルデッカー(2階建て)、残る7両がハイデッカー(高床車)であり、前面窓、側面窓が屋根まで回り込んでいて、展望が楽しめる構造になっている。客室は2両1組で構成され、客用扉をそれぞれ1か所、2・3・5・7・10号車に絞り込んでエントランスにフリースペースを設置し、後の扉は補助扉となるという特殊な設計である。特に2階建てである伊豆急下田方2両は階下にグリーン個室(2号車)とサロン(1号車)を、東京方2両は2階建ての10号車1階に子供室、10号車2階と9号車に「グループユニット」と称してボックスシートを設置し、他の車両とは違う構成になっている。また5号車に売店もある。シートピッチも普通車は1000 mm、グリーン車に至っては1300 mmと広々としている。このように登場時から現在でも通用するプレミアムな内装設備をいくつも備えていた。ただし普通車座席はリクライニングしなかった。車体は上半分が薄い水色、下半分が灰色で間に白い帯が入っていた。
一方技術面では従来車とそれほど変わりはなく、211系の界磁添加励磁制御を踏襲しており、最高速度も120 km/hである。
2002年にリニューアルが実施され、下半分が鮮やかな青緑色、帯色が濃い青色になった。また内装も変更され、普通車座席がリクライニングシートに交換された。2007年にはグリーン車の座席も更新された。
当初の配置は田町電車区(のちの田町車両センター)であったが田町車両センターの廃止に伴い2013年に大宮総合車両センターに転属した。現在も全4編成が変わらず「スーパービュー踊り子」(東京・池袋―伊豆急下田)に従事している。またホームライナー運用もある。
東北本線を回送される251系(2016. 06. 19 上野―尾久)
2. 1. 2. 255系(東日本)
房総地区の特急「さざなみ」「わかしお」に使用されていた183系を置き換えるために1993年7月に登場した。車体は253系(後述)と共通の断面を採用しながらも、空港アクセスに特化していた253系とは異なり、ビジネス客と観光客をターゲットとしているため、デザインにも汎用特急車としての工夫がみられる。外観は房総の空と海をイメージした白と青に菜の花の黄色の縦線が入り、内装も鮮やかな青色を多用しながらシンプルにまとめている。このデザインは253系と同じGKが担当している。9両の編成は4M5Tで、253系までと変わって209系(後述)で採用されたVVVFインバータ制御を採用している。ただし209系(910番台を除く)がインバータ1台と1両分のモータ4台が対応する1C4M制御であるのに対し、インバータ1台でモータ1台を制御する1C1M制御である。素子はGTOだったが2014年以降の更新でIGBTに交換されている。一言でまとめれば253系をベースに新要素を盛り込んだ発展形といえる。
投入列車は当初「ビューさざなみ」(東京―千倉)「ビューわかしお」(東京―安房鴨川)を名乗り、車両自体も「房総ビューエクスプレス」の愛称を冠した。房総特急の完全JR車化はのちのE257系500番台の登場によって2005年に達成されたが、このとき列車名から「ビュー」の名が外れ、また当初なかった「しおさい」(東京―銚子)運用にも就くようになった。このことや臨時特急「新宿さざなみ」(新宿―館山)「新宿わかしお」(新宿―安房鴨川)への充当により、当初蘇我以西で京葉線しか走っていなかったのが総武本線(総武快速線)も走行するようになった。
E257系の登場後も房総の顔として活躍してきた255系だったが、東京湾アクアラインや館山自動車道の開通を受けて房総半島では鉄道自体が自家用車やバスに押されるようになった。内房線を中心に房総特急の縮小が進み、2016年からは君津以南の定期特急が消滅してしまった。このあおりを受け、現在ではグリーン車の付いている[2]255系の運用はむしろ「しおさい」が中心となり、定期運用では「さざなみ」からは撤退、「わかしお」は3往復のみの担当となっている。配属区は登場時から現在まで幕張車両センターである。
「新宿さざなみ」で中央本線に乗り入れる255系(2016. 07. 30 水道橋―御茶ノ水)
2. 1. 3. E351系(東日本)
JR東日本初にして現状唯一の制御付き振り子式車両である。中央本線(中央東線)の特急高速化用に1993年に落成した。JR東日本では1993年度以降の新形式にEastの「E」をつけることになり、E351系がその第一号となった。当初導入された量産先行車は183・189系と共通のダイヤのまま「あずさ」に投入され、その後1994年12月から「スーパーあずさ」(新宿―松本・南小谷)として最高速度130 km/h(八王子―松本間のみ)で本格運行を開始した。
1編成は基本編成8両(4M4T)と付属編成4両(2M2T)からなる12両で、分割して大糸線への乗り入れも考慮されている。基本編成と付属編成の間は自動貫通幌で通り抜けが可能となっている。振り子式のため車体断面は上下を大きく絞られた形になった。振り子装置は8000系(後述)のものをベースとしており最大5°車体を傾斜させることができる。振り子式車両ではパンタグラフの離線を防ぐためにこれを傾斜させない機構が必要であるが、E351系では台車に支持枠を設置してその上にパンタグラフが設置されており、支持枠が車体を上下に貫く穴の中に納まるようになっている。また、JR東日本の在来線特急[3]としては初の高運転台構造となった。制御装置は255系に続きVVVFインバータ制御を採用した。ただしこちらは1C4M制御である。
中央東線も183・189系の定期特急運用からの撤退はE257系の投入をもってなされた。こちらはなおもE351系が速達系統の「スーパーあずさ」を、E257系が停車タイプの「あずさ」と山梨県内発着の「かいじ」を担当している。2017年4月現在の最速達列車は上り「スーパーあずさ14号」で、途中上諏訪・茅野・甲府・八王子のみに停車して松本―新宿間を2時間25分(表定速度93.1 km/h)という俊足で結び、便数・価格ともに充実した中央自動車道の高速バスを速さで圧倒する。2015年に後継となるE353系の量産先行車が登場し、中央本線の特急は再編や世代交代が始まろうとしているが、それまでは中央本線の主役であり続けると思われる。
今なお中央本線の顔であるE351系「スーパーあずさ」(2016. 07. 30 新宿)
2. 1. 4. 281系(西日本)
関西空港アクセス特急として、1994年6月の関西空港線開業に合わせて同年3月に落成した。初期は2M3Tの5両編成だったが翌1995年に6両化され、3両の付属編成も登場した。JR西日本としては681系に次ぐ特急型電車製造となったが、制御装置としては207系、223系に採用されたVVVFインバータ制御を特急型で初めて採用した。前面デザインは「おでこ」が前に出た逆傾斜をもつ独特のものだが、車両の構造自体は681系をベースとしている。東日本の空港アクセス特急であった253系同様大型荷物置き場をもち、またデビュー当初京都駅でチェックインが可能であったため、専用の荷物室が京都方先頭車に設置されていた。2002年のサービス中止以降はここはデッドスペースとなっている。
運転開始から現在まで一貫して特急「はるか」のみで運行されている。基本の運行区間は京都―関西空港間で、東海道本線(梅田貨物線)、大阪環状線、阪和線、関西空港線を経由するが、2003年以降は一部が東海道本線をそのまま米原まで走行する。
東海道本線の乗り入れ区間を拡大した281系「はるか」(2015. 05. 09 米原)撮影者:金フイ
2. 1. 5. 8000系(四国)
予讃線の電化開業に合わせて投入された、四国初の特急型電車である。JR四国の新形式は国鉄時代からの形式称号に従わず、それまでも2000系特急型気動車(後述)や7000系通勤型電車(後述)のように4桁の形式称号を用いてきたが、8000系もそれに則った。車体はステンレス製で、先頭部は新幹線の無いJR四国にあって、新幹線のような流線型となっている。ただ、新幹線の400系などと比べると運転席の位置が低めなので独特の外観となっている。編成は基本編成5両(2M3T)と付属編成3両(1M2T)に分割でき、分割面は貫通型の先頭車となっている。分割併合は「しおかぜ」(岡山―松山)と「いしづち」(高松―松山)の分割併合に利用され、宇多津―松山間は両列車を併結して運転される。車体傾斜機構として2000系(後述)で実用化された制御付き振り子を採用し、最高速度130 km/hを達成している。パンタグラフの支持機構はのちに登場するE351系のものとは異なり、台車とパンタグラフをワイヤーで繋げて車体が回転するとパンタグラフはガイドレール上を滑り同じ位置にとどまり続ける、という仕組みになっている。当初は青い帯に、部分的に赤と橙色が入る配色だったが、2004年から2006年にかけて実施されたリニューアル工事で同じ配色がドア部に縦に入るデザインに改められている。
現在でもJR四国の都市間路線のうち電化路線は予讃線(高松―伊予市)のみとなっており、そのため8000系も「しおかぜ」と「いしづち」に活躍の場を限定されている。2015年に後継となる8600系が登場し、両列車の完全電車化が達成された[4]。2017年3月現在8600系が運用されるのは2往復のみ[5]で、現在も8000系はこの区間の主力であることは間違いない。なお、この完全電車化以降、後述の2000系が運用されなくなったため、一部車両が「アンパンマン列車」となった。
新塗装となったが現在も予讃線を活躍の場とする8000系「しおかぜ」(2016. 08. 19 多度津)
2. 2. 特急型気動車
2. 2. 1. キハ281系(北海道)
2000系(後述)をベースにした振り子式気動車特急1991年12月に試作車が落成し、1994年から「スーパー北斗」(函館―札幌)で営業運転を開始した。北海道は雪の影響を受けやすく、振り子装置のコロに雪が付着し機能不全を起こすことが判明したため、機構をベアリングガイド式に変更し、実用化された。
デビュー当初最速列車は函館―札幌間を2時間59分で結び、3時間を切っていたが、現在は最高速度120 km/h制限により3時間27分まで所要時間が伸びている。「スーパー北斗」自体にも後継の汎用型特急気動車キハ261系が戦列に加わり、キハ281系は5往復を担当している。
北海道の大動脈を支えるキハ281系(2015. 08. 28 北舟岡)
2. 2. 2. キハ85系(東海)
1989年2月から「ひだ」(現・「(ワイドビュー)ひだ[6]」で運転を開始した。国鉄時代の機器は基本的に国産品を用いることとされていたが、キハ85系では英カミンズディーゼル社のエンジンNTA855-R1(社内呼称C-DMF14HZ)を採用することにより、最高速度120 km/h、20‰均衡速度100 km/hを達成した。従来「ひだ」には、国鉄時代最強の特急型気動車だったキハ181系は電化の構想があったことなどから導入されておらず、キハ80系で運転されており、勾配線区の高山本線においては力不足の状態だったところに、海外製品を採用することで大幅な速度向上を果たした。外観デザインはステンレス車体にコーポレートカラーの橙色の帯、前面は白色、非貫通前面と側面に大きな窓というもので、このデザインは後に登場する373系や383系にも受け継がれた。この大きな窓から「ワイドビュー」の通称を得て、これも後にJR東海の在来線特急[7]の代名詞となった。
「ひだ」運用で特徴的だったのが、1991年から2001年まで名古屋鉄道8500系特急「北アルプス」を併結していたことである。これは走行装置がキハ85系と共通設計の気動車で、新名古屋(現・名鉄名古屋)―新鵜沼間で名鉄線を走り、連絡線を通って高山本線に高山まで乗り入れる列車であった。
1992年3月からは「南紀」にも投入された。こちらは「ひだ」にはない全室グリーン車を備えた観光仕様とされたが、2001年3月以降は利用客の減少を受け、全車普通車となった。また、かつては「ホームライナー四日市」(名古屋―四日市)、「ホームライナー太多」(美濃太田―名古屋)の運用もあったが前者が2011年、後者が2012年に廃止された。また、伊勢神宮の式年遷宮に合わせて運行された急行「いせ」(名古屋―伊勢市)にも起用され、参宮線に乗り入れた。
現在も「(ワイドビュー)ひだ」「(ワイドビュー)南紀」で活躍している。
キハ85系「(ワイドビュー)南紀」(2017. 03. 16 紀伊長島)
2. 2. 3. 2000系(四国・土佐くろしお鉄道)
JR初の振り子式車両にして国内初の営業用振り子式気動車、そして世界初の制御付き振り子車両。自然振り子の機構を利用しながら、線路情報を受信して振り子を作動させる、強制振り子式の要素を組み合わせた方式である。また、JR四国最初の新形式であり、国鉄方式の形式の付け方を完全に無視した「2000系」という系列名、そして4桁の数字のみで表される車両番号が国内で衝撃を与えた。1988年に「TSE」と呼ばれる試作車が登場し、量産車は1990年に登場した。さらに1995年からは130 km/h運転に対応したN2000系と呼ばれるグループが登場しているが、2000系における対応する形式に300が足されており、こちらはもはや「第2世代」と呼ぶに相応しいだろう。なお、量産車と同タイプの車両を相互直通先の土佐くろしお鉄道も保有している。
現在は予讃線高松―松山間の特急が全電車化されたため、「宇和海」(松山―宇和島)、「南風」(岡山―高知・宿毛)「しまんと」(高松―高知・中村)「あしずり」(高知―宿毛)で運用されている。一部車両は『アンパンマン』の作者やなせたかし氏が高知県出身であることにちなんで「アンパンマン列車」となり、各列車で子供たちを楽しませている。なお、後継に当たる2600系気動車がすでに落成しており、2000系の転出、あるいは、製造両数によっては淘汰も予想される。特に試作車にあたるTSEは未だ健在ではあるものの注目しなければならない。
気動車特急の常識を破った2000系「南風」(2016. 08. 18 高知)
2. 2. 4. キハ71系(九州)
1989年3月に運転を開始した観光特急「ゆふいんの森」用に、キハ58・65形からの改造で誕生した。車体は完全なる新製である。当初3両だったが4両化された。以後、JR九州は各地に「D&S」と称して観光特急を誕生させていった、その先駆けともいうべき車両である。「ゆふいんの森」は好評を受け、1992年にキハ183系「ゆふいんの森世」(「オランダ村特急」からの転用。のちに「シーボルト」に使用するため離脱)、また完全新製のキハ72系「ゆふいんの森。世」が登場し、戦列に加わった。全国的にもキハ58系はJR東日本の「Kenji」を除いて姿を消してしまい、足回りだけでも貴重な生き残りである。
留置中のキハ71系(2016. 01. 04 亀川)
2. 3. 近郊型電車
2. 3. 1. 721系(北海道)
1988年に登場した。後述する221系や311系に先駆けて3扉転換式クロスシートという内装をもつに至った車両だが、北海道という酷寒地仕様のため客室と扉がデッキで仕切られており、他では見られない内装となっている。また、JR北海道は次に導入した731系から座席をロングシートとし、デッキも廃止したため、北海道唯一の転換式クロスシートの電車となった。また北海道の一般型としては初の冷房を設置した。技術面でも従来の車両より大きく進歩しており、最高速度は特急以外で初の130 km/h[8]、最大加速度2.4 km/h/s(711系は1.1 km/h/s)を誇る。様々な面で従来車からの大幅な刷新を果たし、札幌都市圏の通勤通学輸送、また千歳空港(当時)への空港アクセス輸送にふさわしい車両となった。1992年の南千歳―新千歳空港間開業に合わせて721系は快速「エアポート」に充当され、2M1Tの3両だった編成が4M2Tの6両となった。翌1993年からは制御装置がサイリスタ連続位相制御からVVVFインバータ制御に変更された。快速「エアポート」には半室分の指定席が設置されていたが、2000年からはこの指定席が「uシート」となり、それ用のリクライニングシートが装備された車両が登場した。uシートの部分にはコーポレートカラーの黄緑ではなく赤帯と幕板部に青帯が巻かれている。新型として投入される733系に押されてはいるが、721系も現在でも現役である。
デッキ付き3ドア転換式クロスシートという独特のスタイルを持つ721系(2015. 08. 28 札幌)
2. 3. 2. 107系(東日本)
北関東地区の165系置き換え用に、165系からの機器流用で1988年に誕生した。台車、モータ、電動発電機、空気圧縮機、ブレーキ装置、冷房などが流用された。車体は105系をベースとした3扉車となり、車内はロングシートとなった。1M1Tの2両編成を組み、小山車両センターの0番台が日光線に、高崎車両センターの100番台が両毛線・吾妻線・上越線・信越本線などで運用されていた。
日光線では2013年に205系600番台による置き換えが果たされ、高崎地区でも現在でこそ運用区間は登場時と変わっていないが、211系が現在進行形で107系を置き換えており、消滅寸前の形式となっている。
両毛線から宇都宮線に乗り入れる運用に就く107系(2015. 03. 20 黒磯)
2. 3. 3. 719系(東日本)
仙台地区の451・455系の置き換えを目的に製造された。車体は211系などと同等のもので、制御方式はサイリスタ位相制御である。この車両の特徴的な点は座席で、扉間ごとの集団見合い式という形態をとっている。1M1Tの2両編成で、東北本線、磐越西線、仙山線で活躍した。
磐越西線で使用される719系の一部は赤と黒の帯を引いた「あかべぇ」仕様となった。また、1編成が700番台に改造され、「フルーティアふくしま」として旅行商品専用のスイーツ列車となった。この編成は磐越西線の定期快速列車に併結されて運転される。クハ718から改造されたクシ718は近郊型電車唯一の「食堂車」となった。
2017年にE721系1000番台が投入されたことで、719系は初めて直接置き換えの対象となった。「フルーティアふくしま」の兼ね合いもあるため、今後引退するのか、それ以外の動きをするかは不明である。
719系にはこれ以外に山形線(奥羽本線)用の5000番台が存在する。奥羽本線は山形新幹線運行用に1992年から福島―山形間が標準軌となったが、このために必要な普通列車用の車両が719系をベースに制作された。こちらには現在置き換え計画がない。
(左)719系(2015. 08. 25 小牛田)
(中)山形線の標準軌に対応した719系5000番台(2015. 08. 25 山形)
(右)719系700番台「フルーティアふくしま」(2015. 06. 07 郡山)
2. 3. 4. 701系(東日本・IGRいわて銀河鉄道・青い森鉄道)
客車列車が多数運行されていた東北地方の電化区間の近代化を目的に開発された車両。1993年3月に秋田地区に投入されたのを皮切りに東北各線に導入された。3扉オールロングシートが基本で、通勤型の要素も備えている[9]。仙台支社、盛岡支社、秋田支社で帯色が異なる。その運用範囲の広さから、基本の2両編成(ワンマン対応)のほかに秋田支社の3両編成や仙台支社の4両編成があり、秋田支社には改造でボックスシートが設置された車両もある。また、田沢湖線用と山形線(奥羽本線)用にそれぞれ標準軌仕様の編成がある。田沢湖線用はセミクロスシートである。制御方式はVVVFインバータ制御を採用しており、この技術や車体構造などに901系、のちの209系で培った技術が生きている。
東北本線盛岡―青森間を引き継いだ第3セクター私鉄のIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道も同仕様のIGR7000系、青い森701系をそれぞれ保有している。
基本的には前述の3支社での運用となっているが、一時期水戸支社の勝田車両センターに所属していた編成がある。これは常磐線の原ノ町―相馬間が「離れ小島」的に震災被害から復旧した際にこの区間で運用するための701系で、相馬以北の復旧に合わせて仙台車両センター所属に戻った。
(左)秋田支社の701系。3両編成は改造でボックスシートも設置された(2015. 08. 29 大館)
(中)盛岡支社の701系(2015. 08. 23 一ノ関)
(右)仙台支社の701系(2015. 08. 23 郡山)
(左)田沢湖線の標準軌に対応する701系5000番台(2015. 08. 24 盛岡)
(中)姉妹車のIGR7000系(2015. 08. 24 いわて沼宮内)
(右)姉妹車の青い森701系(2015. 08. 26 青森)
2. 3. 5. 223系(西日本)
0番台は1994年2月に第1編成が落成した。同年6月の関西空港線開業に合わせて関西空港アクセスを主眼に置いた車両で、221系が汎用近郊型電車なら223系0番台は特化型ともいえる。車内スペースの確保のために転換式クロスシートが1+2列の配置となり、大型荷物に対応した。また、当初は基本6両付属2両の編成構成であり、付属編成に荷物室が併設されていた。これはJR難波駅近くにある大阪シティエアターミナル(OCAT)でチェックインができたことに対応していた。このサービスはJR難波駅が地下化された1996年に開始したが1998年には終了し、荷物室は客室に戻された。制御装置はVVVFインバータ制御を採用し、M車はMM’ユニットを組まず、空気圧縮機を搭載したT車とユニットを組んでいる。最高速度は120 km/hである。
1995年に京阪神の新快速に投入された1000番台からは、デザインが大きく変化し、最高速度130 km/hを誇る「第2世代」となった。機器類で変わった点は、VVVFインバータ制御の素子にIGBTを導入したこと、また空気圧縮機もM車に搭載して完全な1M方式となったことである。これ以降、223系は線区特化型ではなく221系のような汎用性を獲得し、阪和線の増備車両、福知山地区のローカル列車、さらには快速「マリンライナー」の置き換え[10]用などに製造されていった。その点0番台は後に勢力を伸ばしたグループからすると異色ではあるが、その繁栄の足掛かりとなった意味合いは大きい。
0番台は2008年から4両編成に組み替えられて阪和線の快速を中心に運用されている。2500番台の編成に組み込まれたものもある。
(左)「関空・紀州路快速」として大阪環状線を行く223系0番台(2013. 08. 11 桃谷)撮影者:福ダイ
(右)1000番台以降は機器構成やデザインが大きく変わり「第2世代」へとシフトした
(2015. 08. 05 山科)
2. 3. 6. 7000系(四国)
予讃線の電化に合わせ、1990年に松山地区の普通列車用に登場した。7000形は新形式の電車としては全国的にも珍しい両運転台の車両で、ワンマン運転にも対応している。車体長が20.8 mと通常の電車よりも長めである。7100形という片運転台の制御車があり、この2車種を組み合わせて自由に編成を組むことができる。扉配置、内装的には1000形気動車(後述)とほぼ同等であり、1000形の電車版のような立ち位置にある。なおトイレの設置はない。のちに登場した6000系や7200系とも併結できる。
四国の電化区間が限られていることもあり7000系の走行区間は登場以来変化していないが、2016年に一畑電車に導入された新型車両7000系の車体がJR四国の7000系の設計を流用している[11]ことは注目に値する。この7000系を製造したのはJR西日本グループの後藤工業[12]で、JR四国との関連性はそれほど強くなく、むしろJR7000系の単行20.8 mという規格がいかに稀有かを物語っている。
(左)気動車風の編成構成ができる7000系(2016. 08. 19 伊予西条)撮影者:犬ケン
(右)7000系と共通設計の車体を持つ一畑電車7000系(2016. 08. 23 雲州平田)
2. 3. 7. 811系(九州)
421系の置き換えを目的に1989年から製造が始まった。これまでに登場した721系、221系、311系と重なる要素が多く、制御方式はサイリスタ位相制御、3扉転換式クロスシート、最高速度120 km/hである。また、臨時で急行としての運転があった点も221系と共通する。783系同様、交直流電車を投入していた国鉄時代とは異なり、九州から出ることを考慮しないため交流専用となった。基本のカラーリングは先頭部が白、帯が赤と青の交互パターンである。
2017年に入ってリニューアル車が登場した。制御装置がSiC素子によるVVVFインバータ制御に改められ、座席がロングシートとなっている。行先表示器がフルカラーLEDに交換され、カラーリングも帯が青のみとなって、817系やBEC819系に付けられている「CT(Commuter Train)」の青いロゴが張り付けられている。
この時期の近郊型電車の標準形のひとつ、811系(2012. 08. 10 大牟田)
2. 3. 8. 813系(九州)
421系の置き換えを主眼に1994年1月に登場した。VVVFインバータ制御を採用し、客室設備は811系に準じた3扉転換式クロスシートとなった。また、新たに車内案内表示器も設置された。車体デザインは先頭部と扉がコーポレートカラーの赤色となり、縦向きのカラーリングとなった。内装のカラーリングも独特のものである。
福北ゆたか線(筑豊本線・篠栗線)の電化開業に伴って一部車両が赤の部分がグレーに変わって直方車両センターに転属し、同線での運行を開始した。また、21世紀に入ってからの増備車1100番台では行先表示器にキハ220形200番台(後述)と同じバス用部品を使ったものが登場し、前面デザインの変更が行われた。
(左)コーポレートカラーの赤を纏う813系(2012. 08. 10 大牟田)
(右)前面デザインが変化した813系(2016. 01. 04 行橋)
2. 4. 通勤型電車
2. 4. 1. 207系(西日本)
1990年に登場したJR西日本の通勤型電車。「207系」は国鉄が製造した常磐線各駅停車・営団千代田線(当時)直通向けのVVVFインバータ制御の試作通勤型電車としてすでに使用されていたが、JRの207系はそれとは完全なる別形式として開発された。
4扉ロングシートという典型的な通勤型で、登場当初は青帯を引いていた。量産先行車は3M4Tの7両で登場したが、量産車は3両と4両に分割できるようにした。JR東西線の開業をにらみ、最初は片町線に投入され、直通運転を背景にJR宝塚線(福知山線)、JR京都線・神戸線(東海道本線・山陽本線)に進出した。
207系を語るうえで忘れてはならないのが、2005年4月の尼崎事故である。ここでは詳細を記述することはしないが、無残に折れ曲がった207系の姿はテレビカメラを通して全国の人々の目にするところとなった。
関西圏通勤型電車の「第2世代」にあたる321系の登場後は、207系も紺色と黄色の2色の帯を引き窓廻りも紺色という321系に合わせた姿となった。また、北新地駅へのホームドア設置に合わせて、JR東西線・学研都市線(片町線)・おおさか東線・大和路線(関西本線)を経由する直通快速の運用にも就いた。2014年からはリニューアルが始まり、前面全体がブラックフェイスとなり、印象はより321系に近づいた。
帯色を変えて現在も京阪神で活躍する207系(2017. 03. 15 兵庫)
2. 5. 一般型気動車
2. 5. 1. キハ150形(北海道)
JR北海道の標準タイプ一般型気動車として1992年に登場した。0番台は北海道の一般型車両としては初めて冷房が設置された。450 psの機関を搭載し、最高速度は110 km/hである。キハ40系のような従来車との併結が考慮され、この場合は従来車の性能に合わせて走行するが、加速に関しては協調運転できないためキハ150が動力車となる。キハ150-1から同10までは旭川運転所に所属して富良野線用となり、帯と客用扉がラベンダー色となった。同11〜17は函館本線山線用、100番台は室蘭本線用として増備され、これらは標準色となった。また、100番台では冷房が省略された。
キハ150形製造以降は731系電車との協調運転が可能なキハ201系が登場した以外一般型気動車の新製がなく、これはJR北海道の資金難が原因と思われる。この結果老朽化の激しいキハ40系を使い続ける状態になっており、近いうちに新形式の気動車が導入されるという発表があったものの2017年4月現在具体化はしていない状況である。
キハ40系に交じって活躍するキハ150形100番台(2015. 08. 28 東室蘭)
2. 5. 2. キハ100系(東日本)
JR東日本の標準一般型気動車のうち、車体長が16.5 mのもの。エンジンも330 psと後述するキハ110系と比較すると控えめの出力のものが搭載されている。初期の車両は扉がプラグドアだった。キハ100形は北東北地区の閑散線区用で、八戸運輸区、盛岡車両センター、一ノ関運輸区に在籍する。キハ101形は左沢線専用で、ロングシート、トイレなしの仕様である。いずれも現役である。2012年にはキハ100形2両が東北復興応援事業の一環として「POK_MON With YOUトレイン」に改造された。この2両は大船渡線を中心に、千葉・茨城および東北各県で臨時列車として運転されている。このほか、2017年7月から1両が小海線向け観光列車「HIGH RAIL 1375」となり、キハ110形と組んで営業運転を開始する予定である。
(左)小柄な車体が特徴のキハ100形(2015. 08. 24 北上)
(右)短距離の左沢線に特化したキハ101形(2015. 08. 25 山形)
2. 5. 3. キハ110系(東日本)
JR東日本の標準一般型気動車のうち、車体長20 mのものであるが、歴代では急行仕様や特急仕様が存在し、多彩な形式となっている。エンジンは420 psのものを搭載している。東北各地から首都圏の八高線や小海線にも配置されており、東日本全域で見かけることができるのも特徴である。
最初期には急行「陸中」の置き換えを目的に投入されたため、両運転台のキハ110形、2両編成のキハ111・112形ともに0番台は急行仕様である。車内はリクライニングシートが並び、簡易デッキまで設置され、設備だけをみればのちにJR東海に登場する373系特急型電車にも遜色ないまでの設備を擁する。その後登場した100番台・150番台・200番台は普通列車用で内装はキハ100形と同じようなセミクロスシートとなった。300番台は秋田新幹線運転に向け田沢湖線が改軌工事で運休した際に、北上―秋田間で走行したJR東日本史上唯一の気動車特急「秋田リレー」に使用された形式で、急行用よりも高いグレードの特急用となっていた。秋田新幹線開業後は通常の200番台に改造され、特急仕様は現存していないが、2004年にJR九州がキハ40系特急「はやとの風」を登場させるまでは唯一の普通用・急行用・特急用が存在した気動車であった。
東日本全域の非電化区間をほぼ網羅するキハ110系であるが、水郡線ではキハ130系に置き換えられて他に転出している。余剰車の発生に合わせて観光列車への改造も行われ、キハ110形とキハ111・112形それぞれ1両ずつが2013年に改造され、八戸線向け「TOHOKU EMOTION」700番台となった。キハ112形はキクシ112形に改められ、供食設備のあるレストラン列車へと生まれ変わった。またキハ110形2両が2015年に飯山線向けの「おいこっと」となった。このほか、2017年7月から1両が先述の「HIGH RAIL 1375」となり、キハ100形と組んで営業運転を開始する予定である。
(左)急行運用はなくなったがそのままの内装で残る0番台(2015. 08. 25 紫波中央)
(右)キハ38形時代の八高線色に改められた200番台(2016. 08. 07 高崎)
2. 5. 4. キハ11形(東海・東海交通事業)
1988年にローカル線向けに製造された。新潟鐵工所(現・新潟トランシス)製18 m級車体の軽快気動車で、JR東海が0番台、100番台、300番台、東海交通事業が200番台を保有していた。100番台が高山本線用の寒地型で、300番台はほかの番台が普通鋼で製造されている中ステンレス製である。変速機によってその性能は抑えられてはいるが、エンジンはキハ85系のものと同じカミンズ社製C-DMF14HZAである。
各番台ともに、美濃太田車両区および伊勢車両区に投入されたキハ25形・キハ75形に置き換えられ、2016年までに伊勢車両区のキハ11形300番台を残して撤退した。これらは現在名松線のみで活躍している。この際、東海交通事業に300番台が譲渡されて200番台を置き換え、この200番台のうち2017年4月までに4両と100番台1両がひたちなか海浜鉄道に譲渡され、200番台2両と100番台1両がキハ11-5,6,7に改番されて2016年から営業運転を開始している。すなわちひたちなか海浜鉄道のキハ11-5,6,7はもともとの5,6,7とは異なる車両である。また、このほかに一部ミャンマーに輸出された車両もある。
(左)キハ11形撤退前の参宮線(2016. 03. 05 宮川)撮影者:福ダイ
(中)ひたちなか海浜鉄道に譲渡されたオリジナルのキハ11形(2016. 06. 04 那珂湊)
(右)ステンレス製の300番台は東海交通事業に移った(2017. 03. 17 勝川)
2. 5. 5. キハ75形(東海)
1990年からキハ58系で運転されていた快速「みえ」(名古屋―鳥羽)の置き換え用に1993年8月から運行を開始した。「みえ」の運行区間は近畿日本鉄道との競合区間であり、非電化・単線という致命的ハンディキャップを克服すべく高性能な気動車を投入した。その性能はキハ85系とほぼ同水準といってよく、エンジンはカミンズ社製C-DMF14HZBを2基搭載し、最高速度120 km/hを誇る。重量1 t当たりの出力は15 ps/tを上回り、同時期の一般型気動車としては最強である[13]。客室設備は311系に準じた3扉転換式クロスシートで、側面も311系(後述)とよく似ているが、前面デザインが異なる。
キハ75形はその性能と居住性を買われ急行「かすが」(名古屋―奈良)にも抜擢され、廃止まで活躍した。近年は高山本線・太多線でも運用される。
キハ75形快速「みえ」(2016. 03. 05 四日市)撮影者:福ダイ
2. 5. 6. キハ120形(西日本)
新潟鐵工所製16 m級軽快気動車で、JR西日本のローカル線用に製造された。現在は引退しているが、松浦鉄道MR-100形などと設計を同じくする。最初に製造されたのは0番台ではなく200番台で、他の番台と違い普通鋼製である。木次線用と越美北線用はこの仕様である。0番台と300番台はJR西日本全域でみられるステンレス製のキハ120形で、0番台がロングシート、300番台がセミクロスシートである。エンジンにも違いがあり、200番台で250 psだったのが330 psに強化された。配置された地区ごとに異なるカラーリングとなっている。扉が手で開けるタイプの半自動折戸であるなど簡素な印象を受けるが、330 psのエンジンを搭載した分、重量1 tあたりの出力はキハ40系の倍近くなった。事実浜田鉄道部のキハ120形は山陰本線での運用も受け持っている。
(左)外見に差はないがロングシートの0番台とセミクロスシートの300番台(2017. 03. 17 柘植)
(右)幹線から閑散線区まで活躍する米子支社のキハ120形(2016. 08. 20 石見川本)
2. 5. 7. 1000形・1200形(四国)
1989年に登場した気動車である。ローカル線用としては珍しく3扉セミクロスシート・両運転台という設計で、後の7000系電車に共通するところがある。中央扉だけが両開きであるところも特徴である。
1500形が登場した後の2006年以降、連結器を1500形の密着連結器に取り替え、半自動ドアのボタン化とデザイン変更(水色帯から濃淡緑色の縦帯となった)が施されたリニューアル車が登場した。これらは番号に200が足されており、1200形と呼ばれる。1200形は1500形と併結できるが、逆に1000形とは併結できなくなった。
高知運転所では登場時のままの水色帯(2016. 08. 18 高知)
2. 5. 8. キハ125形(九州)
JR九州が1992年に導入した新潟鐵工所NDCシリーズの18 mタイプである。車体そのものは新潟鐵工所がローカル線向けに共通設計しているもので、いくつかの私鉄の同時代の車両やJR東海のキハ11形とほぼ同一であるが、搭載するエンジンが異なる。車内はセミクロスシートで、トイレはない。島原鉄道のキハ2500形はほぼ同一仕様だがトイレが設置されている。現在も唐津運輸区と大分車両センターに所属して唐津線・筑肥線・久大本線をテリトリーにしている。キハ40系のような従来車との併結も可能である。
なお、「第一世代」ではなくなってしまうが同じキハ125形を名乗る車両の中に全く異なる出自を持つものがいる。2009年から特急「海幸山幸」に運用されるキハ125形400番台がそれで、台風災害で廃線になった高千穂鉄道からJR九州に譲渡され、観光特急用に改造されたという数奇な運命をたどっている。
(左)久大本線のキハ125形(2017. 03. 18 豊後森)撮影者:本ミフ
(右)キハ125形と酷似した島原鉄道キハ2500形(2016. 01. 08 多比良町)
2. 6. 電気機関車
2. 6. 1. EF200形(貨物)
JR貨物として初の新形式機関車である。試作車は1990年に落成した。理論上の出力は1000 kWであり、日本の機関車では「最強」である。これにより1600 t級の貨物列車を牽引することが目標とされた。しかし、この出力を出すには変電所容量が不足してしまうため、実際にはパワーを大幅に制限され、20両製造されたものの東海道・山陽本線の貨物列車牽引機の主役はEF210形に譲っている。
EF200形牽引の東海道本線貨物列車(2014. 08. 05 浜川崎)撮影者:横コツ
2. 7. ディーゼル機関車
2. 7. 1. DF200形(貨物・九州)
北海道内の貨物列車の輸送力増強と高速化を目的に、1992年に試作機901号機が、1994年から量産機が製造されている、DF50以来の電気式ディーゼル機関車かつF級機である。DD51時代には95 km/hが限界であった最高速度を110 km/hまで向上させ、出力は1,800 kWと単機でDD51の重連に匹敵する。電気式であるから発電以降の機構は電気機関車や電車と同様の技術を生かすことができ、実際にVVVFインバータ制御を採用することで機器の小型化を達成した。機関部分は当初ドイツ製のエンジンを使用していたが1999年以降の製造では国産(小松製)エンジンを採用している[14]。
登場以来北海道の幹線で貨物列車牽引に従事していたが、2013年に「ななつ星in九州」牽引用にJR九州が保有するDF200現状唯一の旅客機DF200-7000が登場した。さらに、貨物機も増備が続いており、DD51の置き換え用に関西本線名古屋地区にも登場している。
北海道の雪の中を疾走するDF200形牽引の貨物列車(2012. 12. 27 恵み野)撮影者:横コツ
3. 転属などにより新たな役割を得たもの
3. 1. 特急型電車
3. 1. 1. 785系(北海道)
1990年9月から札幌―旭川間の高速道路対策を目的に札幌運転所に配備され、特急「スーパーホワイトアロー」として運行を開始した。制御装置にいち早くVVVFインバータ制御を採用し、最高速度は130 km/hである。グリーン車はなく全車両が普通車とされた。当初基本編成4両、付属編成2両だったが、2002年に快速「エアポート」としての新千歳空港乗り入れが781系「ライラック」から「スーパーホワイトアロー」に移った際にuシート車として基本編成が1両増えた。また、同年以降前面窓上部に風洞装置が付き、顔つきが変化している。
781系の全車置き換えを目的に789系1000番台が投入された際、列車名がこれに合わせて「スーパーカムイ」に統一され、また「すずらん」(札幌―室蘭)も785系の受け持ちとなった。また、2010年12月の東北新幹線全線開業に合わせて一部が「スーパー白鳥」(新青森―函館)の付属編成として789系と同じカラーリングの300番台に改造されて函館運転所に転属し、789系と併結して本州乗り入れ運用に就いた。このとき、クモハ785から運転台が撤去されてモハ785-300に形式変更となった。形状は先頭車だったときのままなのでかなり特徴的な見た目となっている。
もう一つの転機が2016年3月の北海道新幹線新青森―新函館北斗間開業で、これにより「スーパー白鳥」が廃止されて789系0番台がすべて余剰となった。これが翌2017年3月改正から札幌―旭川間で「ライラック」として運転を開始することになり、785系はこの区間からも撤退することとなった。現在785系で運行される列車は「すずらん」のみとなっている。
函館本線方面の運用から離脱した785系(2015. 08. 28 札幌)
3. 1. 2. 651系(東日本)
常磐線の高速化とイメージ刷新を目的に開発され、1989年3月に特急「スーパーひたち」として運転を開始した。最大の特徴は車体を真っ白に塗装したことで、「タキシードボディ」と称された。先頭部は当時活躍していた485系初期車のようなボンネットスタイルではあるが、滑らかな形状と正面のLED式ヘッドサインが斬新な印象を与えた。最高速度は国内初[15]の130 km/hを達成すべく、ブレーキ性能の向上がなされた。制御方式は界磁添加励磁制御であるが、これは国内の交直流車では唯一となっている。編成は11両で、基本編成7両(4M3T)と付属編成4両(2M2T)からなる。内装は普通車もリクライニングシートとし、以後の特急型車両の標準となった。
登場時から勝田電車区(現・勝田電車区)に配属され、上野―仙台間で運転された。485系の完全置き換えはE653系投入後の1998年に達成された。2000年から更新工事も実施された。運転区間は東日本大震災以降常磐線の特急運行区間自体が上野―いわき間に短縮されたことを受け、同区間内となった。
常磐線の特急は2012年からE657系に置き換えられることが決まり、651系も常磐線特急から順次撤退することが決まった。運用を外れた車両の多くはJR東日本管内各地に留置されているが、7両編成の一部は交流機器を停止して651系1000番台へと改造が施された。1000番台は真っ白だった車体の窓下に橙色の帯が入ったのが特徴で、2014年から大宮総合車両センターに転属し、「スワローあかぎ」(上野・新宿―前橋)「草津」(上野―長野原草津口[16])といった高崎線特急に投入され、185系を置き換えた。また1編成が全車グリーン車の観光仕様に大改造されて国府津車両センターに配置され、臨時快速「IZU CRAILE」として小田原―伊豆急下田間を走っている。未改造の0番台の一部は交直流電車であることを生かし、常磐線藤代以北へ乗り入れる波動臨時列車を485系のジョイフルトレインとともに担っている。
(左)定期運用を失って留置される651系0番台(2016. 06. 04 勝田)
(右)臨時快速「ぶらり川越号」で川越線へ入線、回送される0番台(2016. 05. 01 川越)
(左)651系1000番台「草津」(2015. 06. 07 尾久)
(右)1000番台「IZU CRAILE」(2016. 11. 26 伊豆急下田)撮影者:福ダイ
3. 1. 3. 253系(東日本)
1991年3月の成田線成田―成田空港間開業に合わせて運転を開始した特急「成田エクスプレス」の専用車両である。かつて構想され、頓挫した成田新幹線に代わるべく、JR在来線の路線網を生かして都心の主要駅から乗り換えなしで空港へ向かうことをコンセプトに設計された。当初は2M1Tの3両編成で、新宿(一部池袋)・横浜―成田空港間を東京で分割・併合を行って結ぶというこれまでにない運行ルートが設定された(新宿方面へは品川から山手貨物線を走行する。なお253系時代は、山手貨物線直通列車は品川通過だった)。分割併合を円滑に行うために自動解結装置、自動幌が設置されており、後者は東京―成田空港間では貫通幌として機能していた。制御方式は251系に引き続き界磁添加励磁制御で、最高速度は130 km/hまで引き上げられた。車内設備は特急型としては異例のボックスシート[17]を採用。フランス製の片持ち式座席で、座席下に荷物を置けるほか、ハットラック式の荷物棚、デッキ近くの大型荷物置き場など、とかく荷物の多い航空旅客への配慮がなされていた。ただし、ボックスシートは日本国内の特急としては不評で、集団見合い式に改められている。余談だが、海外の鉄道では座席が回転・転換しないことが多く、基本的に座席が常に進行方向を向くというのも日本の優等列車ならではの特徴といえる。グリーン車は当初1+1配列、ついで1+1と1+2の交互配置とされ(100番台)、後者ではシートピッチが1090 mmから1340 mmに拡大されている。さらにグリーン車の先頭部には151系の「パーラーカー」個室のような4人用の個室が1部屋用意された。
運行開始後、すぐに輸送力が足りなくなり、1993年には増結用の中間車が製造されて一部編成に組み込まれ、6両編成となった。この6両と3両の組み合わせで、9両編成や最大12両編成まで組まれるようになった。このころから所属していた大船電車区(現・鎌倉総合車両センター)に近い大船への営業列車の乗り入れが行われ、1998年には大宮、2002年には高尾への乗り入れが開始された。この際、他の特急が停車しない吉祥寺[18][19]にも停車することとなった。この年、日本でサッカーワールドカップが開催されるのに合わせ、新たに6両編成が増備された。ここで不評だった普通車の座席がリクライニングシートに変わり、この編成は200番台に区分された。また、2004年までに既存編成のリニューアルも行われた。ここでグリーン車が全席1+2の配置に変更され、3両編成のグリーン車は普通車との合造車にされた。
「成田エクスプレス」は2009年からE259系に置き換えられることとなり、253系は2010年6月までに撤退した。初期の車両の大部分が廃車されたが、車齢の若い200番台は東北本線から東武日光線に乗り入れる特急「日光」「きぬがわ」の485系・189系[20]置き換え用に改造され、1000番台を名乗ることとなった。この時の改造では制御装置がVVVFインバータ制御となった。また特徴だったグリーン個室も廃止され、車販準備室となった。この車両は大宮総合車両センターに転属し、「日光」「きぬがわ」のほか波動輸送にも活躍している。
また、253系はJRの特急型電車では数少ない私鉄への譲渡が行われた形式でもある。長野電鉄に渡った編成は現地で2100系と称され、特急運用を中心に活躍している。
(左)E231系と並ぶ「成田エクスプレス」時代の253系(2009. 10. 24 池袋)
(中)253系1000番台臨時特急「かつうらひな祭り」(2017. 02. 25 蘇我)
(右)長野電鉄2100系となり、元東急8500系と並ぶ元253系(2016. 11. 18 長野)撮影者:本ミフ
3. 1. 4. 371系(東海)
1990年に小田急小田原線から御殿場線に直通する特急「あさぎり」(新宿―沼津[21])用に1編成だけ新製された。5M2Tの7両編成で、T車は2階建て車である。走行機器は211系に準拠しており、制御装置は界磁添加励磁制御である。塗装は新幹線100系と同様の白地に窓廻りが青となった。前面も側面も窓が非常に大きく、2階建て車サロハ371では2つの階を縦に貫く窓がある。
「あさぎり」としては従来新宿―御殿場間で、小田急旧3000形SSEによる片乗り入れという方式だったのが、JR東海が371系を、小田急が20000形RSEを導入して相互直通運転するという形態となった。検査時の371系の運用は20000形が代走した。また、371系静岡車両区の配置だったため、出入庫を兼ねて静岡地区のホームライナー運用もこなしていた。
「あさぎり」は2012年に新宿―御殿場間に短縮され、車両も小田急60000形MSEに置き換えられてしまい、相互直通運転前に逆戻りしてしまった。これを受けて371系、20000形共々「あさぎり」からは撤退した。以後、371系は波動用となり、急行「富士山トレイン371」(浜松―御殿場)、急行「中山道トレイン」(名古屋―奈良井)などを373系とともに務めた。2014年11月の「御殿場線80周年371号」で運行を終了し、JRの車両としての371系は形式消滅した。
これで廃車かと思われたが、富士急行への譲渡が決定し、長野総合車両センターで改造を受けたのち富士急行に入線し、8500系「富士山ビュー特急」と称された。外装・内装をドーンデザイン研究所(後述)が担当し、赤色をベースにした全く新しいいでたちとなった。富士急行ではかねてより元小田急20000形が8000系「フジサン特急」として活躍しており、再びRSEと同じ線路を走ることになった。
371系「中山道トレイン」(2014. 11. 03 上松)撮影者:福ダイ
3. 1. 5. 681系(西日本・北越急行)
北陸本線の特急用に最高速度160 km/h[22]を目標に開発され、1992年に量産先行車が落成した。量産先行車は3M6Tの9両で、1995年に登場した量産車では基本編成6両と七尾線乗り入れを目的とする付属編成3両に改められている。営業運転は1992年12月から「雷鳥」で開始され、量産車登場をもって固有の列車名「スーパー雷鳥(サンダーバード)」が与えられた。「雷鳥」時代は湖西線および北陸トンネル内でのみ130 km/h運転が許されており、性能を持て余してのデビューであった。制御装置はVVVFインバータ制御を採用し、T車も含めた3両で1ユニットを構成した。量産先行車の塗装は前面が灰色、それ以外は白地に灰色と窓一つ分の青色帯を引いただけのシンプルなものだったが、量産車、およびそれに合わせて量産先行車を量産化改造した1000番台では窓廻りに灰色、帯に青色を引いたものに改められた。
1997年の北越急行ほくほく線開業と同時に、681系は同線を経由する「はくたか」にも投入された。「はくたか」2002年から同線内で160 km/h運転を実施し、681系の実力を示す形となった。また、北越急行所属の2000番台車も登場した。こちらは「スノーラビット」の愛称が与えられ、前面と側面の帯が赤で彩られた。
681系をとりまく状況の変化は、2015年の北陸新幹線金沢開業で起こった。「はくたか」が新幹線列車となり在来線特急としては廃止、北越急行が保有していた2000番台と683系8000番台はJR西日本に譲渡され金沢総合車両所の「しらさぎ」編成となった。また「サンダーバード」も富山発着が金沢発着に短縮された。681系は量産先行車1000番台と付属4編成を残して「しらさぎ」に転用され、後輩格の683系を置き換えた。この683系の一部は直流専用の289系となり、福知山地区や「くろしお」に進出していった。現在、683系と681系の付属編成と1000番台が「サンダーバード」(大阪―金沢)を、681系と683系8000番台が「しらさぎ」(名古屋―金沢)を担当するようになっている。また「能登かがり火」(金沢―和倉温泉)と「ダイナスター」(福井―金沢)は両者が折半している。つまり新幹線開業前とは担当が逆転しているといえる。
「しらさぎ」運用がメインとなった681系(2017. 03. 16 米原)
3. 1. 6. 783系(九州)
JRグループ第1号として1988年3月に登場を果たした特急型電車である。JR発足から1年も経っておらず、全国的にほぼ国鉄型車両しか走っていないなかで従来の車両と一線を画す車両を登場させたことで注目を集めた。通称は「ハイパーサルーン」である。特急型電車でステンレス車体を採用したのも、先頭部に50°もの傾斜がつけられたのも初であるが、最大の特徴は車体の中央部に扉とデッキを配置し、客室を半両ごとに区分したことである。これにより団体客に対応しやすく、また半室ごとの細やかなサービスが可能となった。外観上のもう一つの特徴は空調を床下に移したことであった。しかし粉塵による目詰まりを解消できず、1992年には早くも屋根上に付け直されている。最高速度は130 km/hで、これに対応した車両としては登場が最も早かった。ただし130 km/h運転は翌1990年3月からとなった。
はじめは南福岡電車区に配置され、「有明」(当時の運転区間は博多―西鹿児島(現・鹿児島中央))に投入された。同時に電源車ヨ28001と機関車DE10-1756が用意され、当時非電化だった豊肥本線水前寺への乗り入れも実施された。
787系(後述)登場後の1993年以降、783系もレベルを合わせるためのリニューアルが実施された。当初赤い帯(「かもめ」用の先頭半室は青帯)と先頭部は白色という組み合わせだったが、先頭部は銀色塗装となり、側面はブロックパターンに変更された。のちに登場する「みどり」「ハウステンボス」用はまた異なるカラーリングが施された。「みどり」「ハウステンボス」では当初なかった分割併合を早岐で実施し、そのため貫通型先頭車が登場している。九州新幹線の全線開業後は787系とともに九州内各地区に進出し、485系を完全撤退させた。2017年4月現在は「かもめ」(博多―佐賀)2.5往復、「みどり」(博多―佐世保)「ハウステンボス」(博多―ハウステンボス)「きらめき」(門司港―博多)2往復[23]、「有明」(吉塚・博多―長洲[24])1往復、「かいおう」(直方―博多)1往復、「ひゅうが」(延岡―宮崎空港)1.5往復、「にちりんシーガイア」(博多―宮崎空港)1往復、「にちりん」(大分―宮崎空港)1往復、「きりしま」(宮崎―鹿児島中央)2往復と、鹿児島本線の長距離運用こそ新幹線に譲ったが九州の電車特急をほぼ網羅する形で活躍している。最短4両での運用もあるが、当初長編成で次第に短編成化されていった485系のような国鉄型車両と異なり、最初から3両編成での運行が行われるなど短編成も想定されていたことは注目すべきである。このために1M方式で設計されている。2017年には「ハウステンボス」用がサイドのリニューアルを受け、橙色基調の姿となった。
783系「ひゅうが」(2016. 01. 05 宮崎空港)
3. 1. 7. 787系(九州)
1992年7月から鹿児島本線博多―西鹿児島間で運転を開始した。この際列車名が「有明」から伝統ある「つばめ」に改められたことで話題を呼んだ。また、デザインを担当したドーンデザイン研究所、その主宰水戸岡鋭治氏の名が世に広く知れ渡るきっかけともなった。グリーン車に半個室席「トップキャビン」、個室「サロンコンパートメント」という上級座席が設置され、またビュッフェが設定され、形式称号上も「シ」を名乗ることになるなど豪華特急としての設備を多数持っていた。編成は5M4Tの9両編成を基本とした。その人気から、「つばめ」以外の列車にも早くから採用されることとなった。
2004年3月の九州新幹線新八代―鹿児島中央間開業から、高級感はそのままに汎用特急としての活躍が始まった。濃淡のグレーメタリックだった塗色がより濃いグレーとなり、ビュッフェは廃止され普通車に改造された。2011年3月まで新幹線連絡特急「リレーつばめ」を中心に運用され、それ以降は九州各地に進出した。2017年4月現在787系で運転される列車は「かもめ」(博多―長崎)「きらめき」「有明」「かいおう」「ひゅうが」「にちりん」「にちりんシーガイア」「きりしま」と783系同様多岐にわたる。時刻表上ではグリーン個室のマークと「DXグリーン」の表記で787系を見分けることができる。
臨時「にちりん」(2016. 01. 04 中津)
3. 2. 近郊型電車
3. 2. 1. 215系(東日本)
1991年、遠距離通勤客の着席通勤を目標に、全車2階建てで製造された。走行機器は211系と同様であり制御装置も界磁添加励磁制御である。座席はオールボックスシートとなった。当初は田町電車区(のちの田町車両センター)に所属し、廃止に伴って2013年に国府津車両センターに転属した。通勤輸送目的で製造された車両ではあったのだが、全車2扉のため乗降に時間がかかることから、結局ラッシュ時への投入は中止され、東海道線のライナー列車と快速「アクティー」を中心に運用された。現在では東海道線のライナー以外の運用はなくなっているが、小断面トンネル対応のパンタグラフを装備していたことが幸いし、土休日には「ホリデー快速ビューやまなし」(新宿―小淵沢)の運用を得ている。
215系が達成できなかった着席通勤というコンセプトは以降付加価値のあるものと見做されたようで、首都圏各線への2階建てグリーン車連結拡大につながった。かねてより東海道線・横須賀線の113系と東海道線の211系には2階建てグリーン車が連結されていたが、のちに宇都宮線・高崎線・常磐線へと拡大した。さらに、もともと通勤型電車の運行路線だった中央線へのグリーン車連結計画もある。
「おはようライナー新宿」(2015. 4. 27 渋谷)
3. 2. 2. 311系(東海)
東海道本線の名古屋地区に都市圏鉄道としての役割を持たせるべく1989年7月9日に営業運転を開始した。名鉄名古屋本線への対抗策として同年3月から運転を開始していた「新快速」への投入で、従来運用されていた117系や211系の最高速度110 km/hに対し、120 km/hでの走行が可能となった。これは後述の221系の速度向上より早く、全国に先駆けてのことだった。客室設備も、221系に続き3扉転換式クロスシートを装備し、妻面にLED式車内案内表示器を設置するなど、当時の最先端のものを備えていた。車体は211系をほぼ踏襲した軽量ステンレス車体であり、制御装置も界磁添加励磁制御である。国鉄時代の車両と異なるのは4両編成2M2Tの構成で、中間車ではなく熱海方2両が電動車ユニットとなった。これは同時期に投入されたJR東海オリジナルである211系5000番台でも同様である。
311系の定期運用における新快速からの撤退は、後継の313系の導入によってなされた。現在も走行線区は基本的に東海道本線である。
普通運用の増えた311系(2016. 09. 02 新所原―二川)
3. 2. 3. 221系(西日本)
1989年3月JR西日本が汎用近郊型電車として運行を開始した。第一配置区が網干電車区(現・網干総合車両所)であり、京阪神地区の新快速に使用されていた117系の後継ではあったものの、新快速専用の117系とは異なり最初から様々な線区での運用を意識した仕様となっていた。客室設備はそれ以後の西日本全域の近郊型電車の基本となった3扉転換式クロスシートとし、扉数を増やしつつ117系同等の座席定員を確保した。前面、側面に窓を大きく取って展望を良くし、その分の強度を確保するために車体は普通鋼でつくられた。塗装は白に淡茶色の帯を引いており、その上の細帯は153系の青と117系の濃茶色である。何両編成を組んでもMT比を1:1とするためにMM’ユニットと1M方式が混在しており、走行装置はユニット電動車が211系を、1M電動車が213系をベースにした界磁添加励磁制御だが、最高速度は120 km/hに向上している[25]。従来の近郊型電車とは異なり、高速性能を持ちながら加減速性能も優れており、それぞれ2.5 km/h/s、3.5 km/h/sを発揮する。このため新快速[26]から普通まであらゆる種別で運転が可能である。多様な線区に対応するために抑速ブレーキや耐雪ブレーキも初めから装備されている。
新快速での運転開始と同時に奈良電車区にも配置され、「大和路快速」での運用を開始した。大和路快速は大和路線(関西本線)から大阪環状線に乗り入れるため、加減速の性能が生かされるのである。
後継の223系1000番台以降の登場により、1995年以降2000年までに新快速運用からは順次撤退したが、現在も網干総合車両所、京都総合運転所、奈良電車区に所属しJR宝塚線(福知山線)、奈良線、嵯峨野線(山陰本線)、阪和線[27]など関西圏の様々な路線へ進出している。2両から8両が存在したが、2両編成は現在消滅している。
更新工事を受け関西各線で活躍する221系(2017. 03. 14 馬堀)
3. 3. 通勤型電車
3. 3. 1. 209系(東日本)
重量、価格、寿命を従来車の半分にすることを目的に1991年に開発された、901系通勤型電車に端を発するJR東日本の「次世代型」通勤型電車。901系は比較のため、10両3編成をそれぞれ異なる仕様で製作し、その検討結果を反映した量産型である209系が1993年に登場し、京浜東北線で営業運転を開始した。全番台を通しての特徴は軽量化の進んだ平滑なステンレス車体である。0番台は京浜東北線のほか南武線にも6両編成2本が投入され、半自動ドアに対応した八高・川越線向けの3000番台が八高線の部分電化開業に合わせて4両編成で投入された。京浜東北線用にはのちに6ドア車のサハ208が組み込まれた。さらに地下鉄千代田線直通対応の常磐線各駅停車向け1000番台も製造された。また、2002年から埼京線と直通運転を行うことになっていた東京臨海高速鉄道向けにも同一仕様で前面デザインだけがオリジナルの70-000形が製造された。こちらは当初4両だったのが6両化ののち10両化された。
209系の転属はE233系の登場によってなされた。E233系登場前に、先述の70-000形の10両化で発生した余剰先頭車を209系に編入、3100番台として中間電動車を新造し、八高・川越線に投入した。
E233系が京浜東北線に投入されると、209系は京浜東北線から撤退し、多くが廃車されたが一部は4両・6両化、トイレの設置や先頭車へのボックスシートの設置など大幅な改造を受けて内房・外房・総武・成田・鹿島・東金各線向けの2000・2100番台として生まれ変わった。この内装はほぼ近郊型電車のそれに等しいといってよい。また、南武線へも高架化工事などに合わせて改造の上2200番台として転属したが、最終的にはこちらもE233系に置き換えられた。この車両のうち1編成が房総向けと同じ幕張車両センターへ転属したが、千葉支社から「自転車の旅をコンセプトにした新しい専用列車」を既存車6両の改造で製造することが発表されており、これに用いられるものと考えられる。また、八高・川越線へは山手線へのE235系導入に伴う中央・総武線からの車両転属が予想されるためこちらも安泰とは言えない。そのほかの番台には置き換え計画はない。また、209系1000番台は2016年からE233系2000番台が対応した小田急線への乗り入れには対応していない。
ちなみに、209系には幅広車体となった500番台がある。これは車体だけをみれば次世代のE231系とほぼ同じもので、もはや第一世代とは言えない。とはいえ、これまででも中央・総武線、京浜東北線(全車引退)、京葉線、武蔵野線など様々な路線で活躍した209系ファミリーの一員である。また、209系の発展版としては交直流版といえるE501系や、209系をベースに「近郊型電車」として立ち上げられたE217系がある。それらをベースにして、JR東日本は通勤型・近郊型というカテゴリを融合させたE231系を開発していくこととなる。
(中)姉妹車の東京臨海高速鉄道70-000形(2013. 08. 20 赤羽)
(右)オリジナルの八高・川越線向け209系3000番台(右)と70-000形の編入車3100番台
(2016. 05. 01 拝島)
(左)「近郊型」に改造された209系2100番台(2013. 03. 30 松岸)
(中)209系の地下鉄対応仕様1000番台(2016. 10. 29 明治神宮前〈原宿〉)
(右)車体的には第2世代に突入している209系500番台「むさしの号」(2016. 03. 15 新秋津)
3. 4. 一般型気動車
3. 4. 1. キハ141系(北海道・東日本)
50系51形からの改造で誕生したJRの気動車における異端中の異端。1989年に登場し、学園都市線(札沼線)を中心に活躍した。250 psのエンジンを1基搭載したキハ141形、2基搭載したキハ142形、450 psのエンジンを1基搭載したキハ143形、エンジンの無い中間車であるキサハ144形の4形式が立ち上げられた。
キハ141系にとっての最大の転機は2012年に札沼線桑園―北海道医療大学間が電化開業したことであった。これは学園都市線札幌口から気動車が全面撤退することを意味し、末端区間はキハ40系によるワンマン運転であるため、キハ141系は活躍の場を一気に失った。これ以降はそれぞれの特性を生かした転用が行われることとなった。
キハ143形は強力なエンジンを生かして電化区間である千歳線・室蘭本線に転用された。この区間は改正前711系が担当していた区間であり、気動車が電車を置き換えるという異例の置き換えとなった。キハ143形は実際に711系同等の最高速度110 km/h運用を問題なくこなしている。また、キハ141・142形の多くはミャンマーへ渡った。
最も特殊な転属となったのが、JR東日本への譲渡となった4両(キハ142形1両・キハ143形1両・キサハ144形2両)である。ただでさえ珍しいJR会社間の転属[28]だが、この4両は「元客車」という経歴を生かし、釜石線の「SL銀河」の“客車”に転用されてしまったのだ。勾配線区である釜石線にC58牽引のSL列車を走らせるにあたって、キハ141系のもつ動力に補助動力としての機能が期待されたのである。さらに、700番台として改造されたこれらの車両のデビューはTV番組企画も兼ね、「みちのくSLギャラクシー号」として釜石から花巻・東北本線経由でそのまま上野へ向かうという華々しいものとなった。この列車は2014年3月に運転され、翌4月から「SL銀河」として運行を開始した。
電車並みの高出力を生かしキハ143形は電化区間で活躍(2015. 08. 28 東室蘭)
3. 4. 2. キハ200系(九州)
1990年に篠栗線の快速用に登場した。3扉転換式クロスシートという、各社で定着しつつあった近郊型電車の装いを気動車で実現し、かつ性能も電車に近づけようというコンセプトの車両で、最高速度は110 km/hである。キハ125形とは異なり在来気動車との併結は不可である。扉以外全体をコーポレートカラーの赤一色に塗装したため、「赤い快速」と呼ばれた。同等の車両は快速「シーサイドライナー」(長崎―佐世保)用として長崎運転所(現・長崎車両センター)に、また快速「なのはな」(西鹿児島(現・鹿児島中央)―山川)用に鹿児島運転所(現・鹿児島車両センター)にも配置された。「シーサイドライナー」用は青色に赤い扉となり、「なのはな」用車は黄色い塗装となった。片運転台のキハ200形と両運転台のキハ220形に分類でき、キハ200形はトイレの付いていないほうの車両が1000番台となっている。番台区分としては車内がロングシートとなった500・1500番台がある。篠栗線が電化されたため、直方気動車区に在籍していた車両は他地域に転出した[29]。この結果九州全土の非電化区間を走行することになった。
本筋から外れるが、21世紀になってから増備されたキハ220形で特徴的なものが2種類存在する。一つは元々特別快速「なのはなDX」に指定席を連結することを目的に製造された2ドア車・1100番台で、2011年に特急「指宿のたまて箱」が運転を開始するとともにこの列車が廃止されたため、塗装だけ赤色となって熊本車両センターに転属している。もう一つが200番台で、行先表示器としてバス用の部品を採用した結果、全面デザインが大きく変わった。また内装もセミクロスシートに改められた。
(左)指宿枕崎線仕様のキハ200形(2016. 01. 05 山川)
(右)大幅なモデルチェンジとなったキハ220形200番台快速「シーサイドライナー」
(2016. 01. 08 諫早)
4. 営業運転を終えたもの
詳細については他稿に譲るが、以下の形式においては2017年4月までにすでに営業運転を終了している。
・400系(東日本)
史上初の新在直通運転用として1990年に登場した。従来の新幹線車両が白かそれに近い色をベースにしていた中、銀色の車体で窓廻りは黒塗りという塗装が話題を呼んだ。営業運転開始前の速度試験において、上越新幹線で345 km/hを記録するなど、性能も相当に高い。1992年から山形新幹線「つばさ」として営業運転を開始。1995年に中間車1両を増備して7両化。新庄延伸後はE3系に合わせた銀色と濃灰色の2色をベースに緑帯を引いた塗装に改められた。E3系2000番台に置き換えられ、2010年に形式消滅。
・E1系(東日本)
1994年に登場。全車2階建て12両編成で新幹線通勤の需要に対応した車両。普通車に3+3列座席を採用し定員を増やした。「Max(Multi amenity express)」の通称をもち、東北・上越新幹線を活躍の場とした。東北新幹線からの撤退後は「朱鷺色」の帯を持つ塗装に変更され、内装もリニューアルされた。2012年に全車引退。
・300系(東海・西日本)
1989年に試作車が完成し、東海道新幹線高速化のための様々な試験が行われた。1992年3月から従来の「こだま」「ひかり」より格上の「のぞみ」として営業運転を開始。最高速度270 km/h、東京―新大阪間2時間30分を実現し、後継の700系、N700系にバトンを繋いで「のぞみ」中心ダイヤ実現へ大きな役割を果たし、2012年に形式消滅。
・キハ130形(北海道)
1988年、会津鉄道AT-150形をベースに登場。日高本線などで活躍したが、設計簡略化が災いしたのか劣化が激しく2002年には早くも形式消滅。
・キハ33形(西日本)
1988年に山陰地区のローカル線向けに50系客車からの改造で生み出された気動車で、キハ141系の姉妹車ともいえるが、先頭部はキハ31形をモデルにしており、前照灯の位置が異なるため印象は大きく違う。キハ141系とは違って2両しか製造されなかった。2010年に廃車。津山まなびの鉄道館に保存されている。
・キサハ34形(西日本)
1992年に12系から改造された。キハ58系で挟んで使用する目的のため、動力車を持たない特殊な形式。実質、気動車との併結に対応したただの12系である。2両が製造されたがわずか4年後の1996年に廃車された。
・EF500形(貨物)
1990年に試作機1両が製造された。EF200形の交流版で、首都圏―北海道・五稜郭間を通し牽引することを目的としていたが、その目的はEH500形によって達成されることとなり、EF500形は2001年に廃車された。ちなみに首都圏―北海道間の通し牽引自体も北海道新幹線の開業に伴って海峡線をEH800形しか走行できなくなったため、取りやめとなっている。
・ED500形(貨物)
EF200形、EF500形に続くVVVFインバータ制御の小型電気機関車。扉を除く全体が黒く塗装されているのが特徴だった。1992年に1両が試作されたのみに終わった。
5. おわりに
JR発足からわずか7年の間にこれだけの車両が登場したことは日本の鉄道史においても重要な意味を持つ。この時代の車両はまずデザイン面、機能面で進化し、次に技術面で進化したといえるであろう。従来の枠組みにとらわれないデザイン、また電車においても近郊型は3扉セミクロスシート、通勤型は4扉ロングシートと決まっていたところを目的に応じて最適化された座席配置とする、気動車も従来車との併結を考えず、場合によっては電車同等の車内設備とするなどの工夫が見られた。この時代に発生した客室設備の形態として「3扉転換式クロスシート」がある。国鉄時代の117・213系と211系のハイブリッドのような形であり、721系、311系、221系、811系(時代を少し下ると6000系が登場する)といった電車のほか、キハ75形、キハ200系といった電車寄りの発想に基づく気動車にも採用された。
技術面では初期の電車はほぼ国鉄末期車両の踏襲であった。技術開発に時間がかかることを考えるとごく自然な話であるが、直流車はほぼ211系ベースの界磁添加励磁制御、交流車ではサイリスタ位相制御であった。1991年ごろからVVVFインバータ制御を採用するものが出始めた。当初はGTO素子が採用されたが、本稿で取り上げた年代のすぐ後に登場する223系1000番台がIGBT素子を採用。それまでの年代の車両も現在まで生き残っているものの多くはIGBTに換装されている。一方で気動車のエンジンに関しては新形式車登場に合わせて一気に技術が進展した。逆に言うと国鉄時代はキハ40系登場までキハ17系で開発されたDMH17のままあまりに長期間停滞していたともいえるが、外国製のエンジンを積極的に採用したJR東海の例や各社で車体の軽量化が進んだことからは国鉄分割民営化を境に気動車のあり方は大きく変わったといえよう。
この時代の新幹線車両はすべて引退してしまっているためほとんど取り上げることはできなかったが初の270 km/h運転、在来線への直通、全車2階建てと革命的なものばかりであった。
JR発足から30年という年月を経ても第一線で活躍する車両たちもあり、当初からは予想だにしなかった場所に転属して使用され続けているものもある。中でも特徴的なのが「観光立国」を目指す今の時代を象徴するような、観光列車への転用である。各社ともに鉄道での旅に付加価値をつけるべく観光列車を登場させているが、特にJR東日本ではその改造種車が国鉄型からJR型に移行しつつある。本稿で扱っただけでも651系・719系・キハ100系・キハ110系・キハ141系がそれにあたり、209系もその仲間に加わろうとしている。こうした動きは今後他社でも見られるようになるのではないかと予想できる。例えばJR四国であればキハ185系を観光特急「四国まんなか千年ものがたり」に改造するところまで来ており、世代から言えば「次」はJR型である。
30年前とは社会の状況も鉄道の位置づけも変化しているが、JR発足初期の車両群の中では、経年劣化が激しくなく変化に対応できるもの(もともと多様なニーズを満たしうる汎用車か、転用改造が容易なもの)に関してはまだ活躍を見られる機会も多いだろう。そうでないもの、例えば大都市圏でラッシュに晒され続けたり環境の厳しい酷寒地を走るものであったり、あるいは特定の目的に特化しすぎているものに関しては、動向に注意する必要があると考えられる。
6. 参考文献
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『週刊 鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン)
第4号、20号、21号、37号(2004年)
第51号、53号、54号、63号、71号、75号、78号(2005年)
第105号、112号、115号(2006年)
『鉄道ファン』(交友社)
1988年9月号・1992年6月号・11月号・1995年1月号・1996年3月号・7月号・1997年5月号・1998年1月号・5月号・2010年7月号・2012年2月号・2013年7月号・2014年4月号
「鉄道ニュース」(『鉄道ファン』公式サイト内)
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*写真は特記以外筆者が撮影した。
[1] 事実快速「ムーンライトながら」や521Mのような普通列車での運用が存在したことがある。
[2] E257系500番台は5両モノクラス編成でグリーン車がない。
[3] 言うまでもないが在来線も走行する400系は含まない。
[4] それまでは岡山・高松―宇和島間を通し運行する2000系による特急があったが、この改正以降松山で系統分割された。
[5] 多客時には8000系8両がすべて「しおかぜ」として岡山方面へ運転され、8600系が「いしづち」として高松―宇多津・多度津間でリレー輸送を担うことになる。
[6] 以下、適宜「(ワイドビュー)」は略す。
[7] 「しなの」「南紀」「ふじかわ」「伊那路」、かつてのものでは「東海」「あさぎり」に付けられている。なお他社車両のみで運行される「踊り子」「しらさぎ」、現在の「あさぎり」にはつかない。
[8] ただし130 km/hでの営業運転は2002年からであり223系などに先を越されている。
[9] 3扉であること、トイレ付きであることや運行線区を考慮しこのカテゴリとした。
[10] JR四国も共通設計の5000系電車を導入した。
[11] 走行装置などは225系がベース。
[12] 後藤総合車両所内にある下請け企業で、山陰地方を中心に車両整備や改造を手掛ける。
[13] のちにJR北海道に登場するキハ201形には敗れる。
[14] 50番台に区分される。
[15] 車両としては783系が先に登場しているが130 km/hの達成はこの651系と、485系「スーパー雷鳥」が先。
[16] 2015年までは万座・鹿沢口まで乗り入れていた。
[17] 部分的な導入ではなく一般の普通車座席がボックスシートであった特急型車両はこれと581系・583系くらいのものである。
[18] それどころか特別快速(中央特快・青梅特快)も停車しない。
[19] そもそも高尾も「スーパーあずさ」「あずさ」「かいじ」全列車が通過する。
[20] 「彩野」。
[21] 当時の運行区間。
[22] 北陸新幹線のスーパー特急方式での整備が検討されていたため。
[23] 土休日は1.5往復。
[24] 吉塚―博多間普通列車。
[25] 120 km/h運転開始は1990年3月から。
[26] 臨時だが「急行」での運用実績もある。1991年夏以降に設定された「マリン城崎」(大阪―城崎(現・城崎温泉))、「マリン白浜」(大阪―白浜)がそれである。
[27] 225系投入に伴い撤退済み。
[28] 他の例を挙げればJR東海・西日本間で譲渡された新幹線車両、四国から九州へ移ったキハ185系、東日本から貨物へ転属したEF510形500番台など。
[29] キハ200系自体は九州全土で第一線の気動車として活躍しているが、第一投入線区から撤退しているためこのカテゴリに分類した。